他者評価を気にしてモチベーションが下がってしまったのですが、自己肯定感をあげれば何とかなりますか?



仕事というのは他人の評価によって成り立つところもあるので、ナンボ自分軸とか言うても振り回されることがよくあります。
そこでどういう風に意識を向けたらいいのか?というお話をさせていただきました。

根本先生
いつもブログ楽しみにしています。
今回リクエストしたいのは他者評価と自己肯定感についてです。
これまでブログを通して、幸せかどうかの判断を他者評価に委ねるから苦しくなる、ということは理解できました。
夫に対しても「自分がしてあげたいから、しているんだ。」という意識を持てたことで前よりもイライラが減りました。
しかし仕事ではどうしても他者評価を気にしてしまいます。
私は今大手企業で働いて7年目です。今の会社ではほとんどの社員が入社5~9年目で昇格します。その順番は社内の評価(給与にも反映される査定表)を中心に決まります。
この1年、産休から復職し時短もとらずに仕事と育児を両立しようとかなりの努力をして、その結果部内で表彰もされましたが、肝心の査定は低く来年度の昇格は絶望的です。
そのことで心がポキリと折れたようで仕事へのモチベーションがガクッと下がってしまい、家族にもやつあたりしそうになります。
努力が認められなかった悲しさ、同期に負けているという劣等感と給与に差がつくことへの嫉妬。
結局どれも社内の役職で自分の価値を決めてしまっているから、傷ついているのかなと思います。
昇格できなかったとしても自分の努力が無駄になったわけではないし、同期に人として劣っているわけでもない。と頭ではわかっても、心はもやもやしたままです。
今の仕事は好きですが、「好きなことができているからお金や自己有用感がなくてもやりたいの」と思えるほどには好きではないようです。
こういうケースでも、自己肯定感が高ければ傷つかずに過ごせるのでしょうか?もう少しラクになれるヒントのようなものがあれば教えて頂きたいです。よろしくお願いいたします。
(Sさん)

最近の根本くんは何かにつけて「自己肯定感をあげれば大丈夫ですよ~!」としか言ってませんよね。
そして、決まってその後に「ステマでっせ」と本の宣伝なんかをしてしまうわけです。

http://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/20653

こんな風に(笑)

なので飽きっぽい武闘派女子たちからは「こいつ、ほんといってることワンパターン。きっとベッドの上でも同じことしかしないのよ。退屈な奴。」とバレてしまいそうなのですが、王道のマンネリズムにて今日もお届けしたいと思います!

企業の中で働いている場合、自分の処遇などは会社が決めるわけで、どうしたって他者評価に依存しやすくなります。
「会社に認められる」という表現がふつうにあるように受身になりやすいですよね。

Sさんもお気付きのように、それが自分の価値を決めるわけでも、努力してないわけでも、能力がないわけでもないのに、会社の評価によって一喜一憂してしまうのが人間ってもんだと思います。

それは企業に属していなくてフリーで活動している人だって、評価は顧客がするものですから同じことですよね。

同期がいたり、自分と同等の能力だと思える人がいたりいると、彼らが比較対象となりますから、「なんであいつばっかり出世するんだ」とか「なぜ、自分は全然売れないのか」などの気にしてしまうものです。

周りに人がいる、ということは、自立している分、どうしたって競争したり、比較したりしてしまうものです。
ちなみに今度そういう講座をするので良かったら聞きに来てください。

「心理学講座「比較と競争の罠を手放して、自由な自分になる方法」」
http://nemotohiroyuki.jp/event

そればっかりはしょうがないものなので、そう感じてしまう自分を卑下しない、否定しないようにしたいですね。
「自分よりも能力がないと思っていた同期が先に主任になった・・・。めっちゃ凹む。嫉妬する。むかつく。やる気なくなる。」というのも、ごくごく自然な反応だと思います。

自己肯定感というのは、そうして比較したり、競争したり、嫉妬したり、凹んだり、やる気がなくなったり、悲しくなったり、惨めになったり、寂しくなったり、悪態ついたり、ふてくされたり、家族に八つ当たりしたり、旦那をサンドバックにしたり、やけ酒を飲んだりする自分を受け入れる(=許す、認める)ことを言います。

「なんでこんなに頑張ってるのに、この程度の査定なんだよ!ふざけんな!」と人事部に殴り込みをかけそうになる自分を受け入れる(=許す、認める)ことなのです。

「そういう気分になるよなー。納得できひんよなー。むかつくよなー。ほんと辞めたろか!と思うよなー。自分がいなくなったらどんだけ困るか思いしらしたる!!」と思う自分を受け入れる(=許す、認める)ことなのです。

「正しさ」とか「ルール」という“観念”があると、自分の感情やできごとを自分自身で評価してしまいます。
「こんなことで嫉妬するなんて俺なんてダメな奴」と思っちゃうわけですね。

自己肯定感というのはありのままの感情を認めることなので、「嫉妬してる自分」にOKを出すことはもちろん、「嫉妬している自分にダメ出しをしてしまう自分」にもOKを出すことを言います。

とことん自分自身を受容し、自分自身の味方になってあげ、自分自身を守り、自分自身を愛してあげる姿勢のことなのです。

これは自立系の人にとっては超絶難しい在り方です。

だから、本にも書きましたが、

「大切な友達に接するように自分自身に接してあげること」

というのがお勧めなのです。

Sさん、もし、Sさんの親友が同じことで悩んでいたら何て声をかけてあげますか?あるいは、どうしてあげたいですか?

それと同じことを自分自身にしてあげるんです。

さて、もう少し先に進んでみましょう。

>努力が認められなかった悲しさ、同期に負けているという劣等感と給与に差がつくことへの嫉妬。

これが起こるのはごくごく自然なことだなあ、と自分を受け入れてあげた後にすることは、そこから自分の姿勢を知ることです。

「認められたかったんだなあ、そのために努力していたんだなあ」という私がいる、ということ。

「同期に負けたくない!」という私がいるんだなあ、ということ。

「社内評価をめっちゃ気にして、そのために頑張ってたんだなあ」という私がいる、ということ。

そこで根本くんはこういう質問をするんです。

「で、どうしたい?」って。

「認められるための努力をするんじゃなくて、自分がしたいからする、という努力をする」とか「同期への競争心を手放して、じぶんがしたいことにもっとエネルギーを注ぐ」とか、ここから「自分がより快適に、楽に生きられるように自分自身の在り方を変える」というチャレンジができます。

もちろん、「会社に認められるまでとことん努力する」とか「同期の中で一番になる!」という生き方も悪いわけじゃありません。

自分がどうなりたいのか?
自分がどうしたいのか?

というのがとても大切な基準になります。

>結局どれも社内の役職で自分の価値を決めてしまっているから、傷ついているのかなと思います。

ということに気付いたのならば、そういう自分をまずは肯定した上で、自分がどうしたいのか?を考えるのです。

「社内の役職で自分の価値を決めないようになる!」でもいいし、「くそ!こうなりゃ、もっと頑張ってあの役職を手に入れてやる!」でもいいのです。
あるいは、「他者評価ごときで、傷つかぬ自分になる!」でもいいんです。

自己肯定感によって「自分自身」という強い見方を手に入れると、こうした「在り方のチェンジ」にも前向きに取り組むことができます。

つまり、「自分は今の会社の中でどのように生きていきたいのか?何がしたいのか?何を得たいのか?」というところを、改めて見つめ直していくのです。

自分を肯定することがなぜ大切なのか?というと、今起きていることを全部受け入れた上で、自分自身の味方に自分がなることで、周りの波風に影響を受けない「自分自身」という中に入れるからです。

外は嵐で雨風が強くて吹き飛ばされそうなんだけど、頑丈な建物の中に入って戸締りをきちんとすれば、その建物の中はとても静かになります。

この頑丈な建物というのが自分自身であり、戸締りをきちんとする、というのが自己肯定感ということです。

嵐の日に中途半端に窓を開けていたら家の中、とんでもないことになりますよね。

それで、その建物の中で、じっくりと「自分はどうしたいのか?」ということを考えるのです。

「嵐がよく来るこの場所に居続けることもできるし、もっと平穏な気候の場所に引っ越すこともできるし、もっと家を頑丈にして強い雨風にもビクともしない建物にリフォームすることもできるし、私は自由なのだ!!」

ということです。

それにしても我ながらなかなかいい例え話を考え付いた!!と思っているのですが、いかがでしょう?(笑)

そして、もう一つ大切な意識の置き方があります。
これもいつも言ってることですが「この状況は私が望んだもので、私がこの状況を選んでいる」という自覚です。

Sさんは自由なのですから、今の会社の評価に満足がいかなければ自分の実力と価値を持って他社に転職することも可能ですし、自分で会社を作ることも可能です。

でも、その可能性を捨てて、この会社に居続けるのであれば、そこに「査定・評価・昇進」以外に何かしら魅力を感じているからです。

それは転職する際のリスクを採るならば現状の方がいい、とか、大手で安定してるから、とか、この会社、何だかんだ言っても好きだから、とか、実は密かに思いを寄せている野良猫がうじゃうじゃいる、とか、まあ、何でもいいです。

何らかの「ポジティブなメリットを感じている」から「今の会社に居続ける」ことを自分で選択しているのです。

この意識に立ってみることをお勧めしています。

そこで一見ネガティブに見える前向きなメリットもあります。
「ここでなら思う存分自分をいじめられるぞ!」
「この会社なら思い切り甘えて暮らせるぞ!」
「会社に属していれば、バンバン会社の悪口言えるしな!」

そんな場合もあります。

だから、「今の状況は自分が選択している」と自覚した上で「じゃあ、どうしたい?」って自分を見つめ直してみるのがいいと思うのです。

会社の査定というのは、ナンボ基準が明確に決められていても、評価するのは人ですから、評価者の基準によって決まるものです。
それは自分ではどうすることもできないものです。

たとえ、自分ではめっちゃいい仕事したなあ!と思っても、評価者から見れば「大したことない」と判断されることもよくあるのです。

そこで、自己肯定感や自分で選んでる自覚が生まれると、

「これって自分にどうにかできること?できないか。じゃあ、自分にできることだけを一生懸命やろう」

という意識に向かいます。
これは企業人もそうですが、私のようなフリーの人間にもよく当てはまることです。

他者評価依存の状態は、自分にはどうにもできないことを自分で何とかしようとしてしまうところに苦しみがあります。

どんなにいい製品を作って「過去最高だ!」と思っていても、それを評価するのは消費者ですよね。
評価されないと言って価値がないわけでもないんです。
最初は酷評されたのに、時代の変化とともに高値が付くようになった絵や音楽があるように、です。

そして、「自分にできること」って無限にあります。
もっと仕事の質を高めたり、自分が満足できるような仕事のやり方を学んだり、転職したり、「その査定、意義あり」と声を上げたり、いっぱいあります。

周りに目を向けたら苦しくなる時は、自分に目を向けて「今できることをしよう」と意識し直すことがお勧めです。

これこそが、「頑丈な建物の中に入って自分を見つめる」ということにつながるのです。

そうすると、不思議なほどに安定した、平和な感覚がやってきます。
温かで、落ち着いて、安らかな世界です。
そこで自分自身に聞いてみるんです。

「私ってほんとはどうしたいのかなあ?何が大事なのかなあ?」という風に。


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