「ライバル誕生。」



私は待ち合わせには遅れずに現れるタイプである。むしろ、2,30分前には既に到着し、その辺をうろついている(あるいは、既に一杯やっている)ことすら珍しくない。
何事も“余裕”を大切とし、できるだけゆったりと構えていることを好むのである。
しかし、裏を返せばかなりセッカチな性格ともいえ、また、落ち着きがなく、純粋な関西人でないにも関わらずイラチである。

そんな性格がもろに出ているのでは?と息子に感じたのは、彼がまだ妻のお腹に来て8ヶ月足らずの頃であった。


少量の出血があり、妻が診察即入院となったのである。

それまでも診察する全ての産科医や看護師が口を揃えて「よ、よく動く子ですね」と言う胎児はとても活動的で、それゆえに妻の腹を破りそうになったのであろう。
かわいそうな妻はそこから出産までの2ヶ月を4人部屋の病室で過ごすこととなったのである。

病室を見舞うたびに妻が言う「ほんとに落ち着きがないんだから」というセリフは、お腹の中の子どもと、そのお腹から出て7年経った子どもと、別腹から出て38年が経った私に対して向けられており、「ん?今のそれは誰へのセリフ?」とお互いに責任を擦り付け合うのが新しい我が家の習慣である。
その点、まだ胎児ゆえに口がきけない息子は不利であり、父と姉により「こいつが一番だよね~」と反論なきまま決め付けられるのである。

さて、そんな落ち着きがない息子は、無謀にも幾度となく脱出にチャレンジするのである。なんぼセッカチでイラチだからといえ、予定日よりも2ヶ月早く出ようとするのはさすがの私も敵わない。

しかし、あっさりと医療技術の前に押さえつけられ、かわいそうな妻は、張り止めの薬に加え、筋肉を弛緩させる薬まで投入されることとなった。
これは妻にとって後々のトラウマになったのである。

病院側も実は必死なのである。
妻が入院していた病院は比較的規模の大きなところではあるが、NICUがないため、もし、未熟児で生まれてしまったり、生まれそうになった場合には、近隣の施設に搬送されてしまうのである。だから、少々強引にでも押さえつけざるを得ない事情があったのである。

きっと息子もそのやり方は性急だったと反省したのであろう。
以後は、そのような強引なやり方は手放して、つとめてゲリラ的にこっそり脱出する方法を探ったようである。
しかし、当然というべきか、モニターという武器を持つ現代医学にそんなやり方は通用しないわけで、脱出を図ろうとするたびに常に張り止めの薬を追加され、結局はすごすごと引き下がるしかないのである。
とはいえ、諦めずに幾度となく脱出を試みる根性には見上げたものがあり、生後の躍進に期待がもてるところである

さて、ベッドと室内のトイレしか移動を許されない生活を送っていた妻にも、ようやく36週という一つの区切りを迎えることができた。
おそらく私や娘であったら、とっくに発狂していただろうその生活にも終わりが見えてきたのである。
やはり、母なる強さと言うか、この生活に耐えられる気力は凄いものがある。

正直なところ、この生活を乗り越えて出産するわけで、「また、妻が、強くなる」との畏怖を禁じえないのである。もちろん、「強い」を「こわい」と読むことは賢明な読者の皆様なら既に察しておられるであろう。
今後、急に私の出張日数が増えたとしたら、黙って察していただきたい。要は、そういうことなのである。

そうして、いよいよ張り止めの点滴を抜く日がやってきた。
実はそのほんの数日前にあの大震災が起こり、まだ日本全国がパニック状態になっているときの出産だったのである。

多くの死があり、そして、新しく生まれる命が目の前にあり、一層、生きることの意味を考えざるを得ない状況であった。

とはえい、産むほうは必死である。
上の娘と同様、点滴を抜いて6時間後に陣痛が始まった。
生まれてからもビビリであった娘は、そこから17時間も粘りに粘って生まれてきたのであるが、さすがは予行演習を幾度となく済ませてきた息子である。
本格的に陣痛が始まってからは4、5時間という短時間で脱兎の如く子宮から駆け出そうとしたのである。

ところが、である。
誰に似たのか、セッカチでイラチな性格が災いしたのであろう。
お腹の中で暴れまくった結果、へその緒がグルグルと首や足に絡みつき、出ようにも出られない状態になっていたのである。
自業自得というか、何というか、絵としては間抜けな図を想像するが、現実は実にヤバイ状態となっていた。
医師、助産師、看護師達が騒然となり、妻の痛みも最高潮になり、半ば、強引に息子は引っ張り出されることとなったのである。
生まれてすぐは息をせず、場に一瞬冷たい空気が走ったという。
しかし、しばらくして元気な産声をあげ、一同ホッとして、おめでとうムードに包まれたという。

というのも、最後の診察からにわかに「お産」になってしまい、そんなバタバタがあったので、診察の際に外に出されていた私は、すっかり忘れられた存在となっていたのである。
見た目よりずっと優しい助産師さんは謝ってくれたのであるが、無事に生まれてくれさえすれば何でもいいのである。

見なくて良かったのか、その場に居たほうが良かったのかは分からないが、出産直後の妻はやはり神々しかったのである。

なぜ、出産を終えた女性はこうまで光り輝き、美しいのだろう。
一人目のときも同じ印象を持ったが、それは妻だけにではない。病室を行き交う出産直後の女性達は皆、見えざる何かに守られ、そして、どこかと繋がっている気高さを感じるのである。

深夜の出産であり、その後朝まで、妻と分娩室や陣痛室で過ごしていた。
安堵感と喜びと高揚感と様々な思いが混じった時間であり、私の神経が急激に緩んでいくのも感じていた。
妻ほどではないにせよ、長らく入院や出産への不安で、私も緊張していたのであろう。
テンションは高めだが、精神的には深く落ち着いており、頭は冴えていた。

その日、ツイッターやらmixiやらに「生まれました」という報告を書いた。
正直、日本中が震災の暗い雰囲気の中、個人的な喜びの話など不謹慎ではないか、という思いもあった。
しかし、そういうときだからこそ、明るい、未来を感じさせるニュースがあってもいいんじゃないかと思った。
むしろ、生命の尊さを知る今だからこそ、意味があるんじゃないかと思ったのである。
その結果、100名を越える方から祝福のメッセージを頂いた。
そのメッセージを見た妻は泣き、私は仲間や人のつながりを深く感じて震えていた。

ともあれ、妻は長く辛かった妊婦生活から解放され、徐々に日常に戻りつつある。
2ヶ月入院していて体力もすっかり落ちており、快復にはしばらくの時間を要するであろうが、ともかくは元気である。

胎児の頃は暴れまくっていた息子は、生まれてからは「眠り王子」と看護師さんたちの間で名づけられるほどによく眠る子で、今のところは一緒に寝ている妻を助けてくれていると言っていいだろう。
娘のときは2時間おきに泣き叫んでいたわけで、雲泥の違いである。

息子が我が家に来てからというもの、家の中はとても平和な空気で満たされている。何だろう、この赤ん坊のエネルギーは・・・と思って部屋中を見回してることも少なくないのである。このエネルギーがあれば、世界は平和になれるのに、と思うほどである。

とはいえ、へその緒がぐるぐる巻きになっていた息子である。今後、どんなしがらみでぐるぐる巻きになるのか、楽しみではある。
というのも、生まれる前から妻を独占してきた輩である。今から思えば様々な手段を使って妻を私から引き離そうとする策略に見えなくも無いのである。
そして、その作戦が成功裏に終わったことは、今も妻と常に一緒にいる姿からも良く分かる。

おーっと危ない危ない。

そのかわいらしさに踊らされているうちに、妻もおろか、入院期間にグッと距離が縮まった娘との仲に割って入られる危険性もあるではないか。

実は息子と判明してから年の離れた弟を持つクライアントさんにくまなくインタビューをしてきた。
その結果、皆が口を揃えて「ものすごくかわいい」とおっしゃるのである。
「反抗期に入って生意気な口を利くのもかわいい」とか「未だに私にすごく頼ってきて、それがかわいい」とか聞くのである。

今はツンデレを気取っている娘も、内心は息子に興味津々なのかもしれない。
今はパパの方が大事と公言している娘も、そのホンネは息子に引かれつつあるのかもしれない。
そう思えば、弟を抱っこする娘はこの上なく柔らかく幸せそうな表情をしているではないか。

これはなんとしてでも家庭内での孤立化、並びに、存在感の喪失を避けなければいけない事態であろう。

早く気付いてよかった!
かくなる上は、家族の目をこちらに引き付けるよう、作戦を練る必要がある。
ここはできるだけ出張を減らし・・・ん?なんだこのスケジュールは・・・5月から8月まで毎週出張だと!?

これを息子の陰謀と見るのは深読みしすぎであろうか?

その疑念を確かめつつ直談判しようと、たった今、寝ている息子を見に行ってきた。
そんな陰謀を抱いているとは思えない寝顔であり、思わず、3回ほど、そのほっぺにチューをしてしまった。
いかん、ますます術中にはまるではないか。

しかし、その感触はすばらしく、また、ものすごくいい匂いがした。

生後7日くらい。

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