見たいように見て、聞きたいように聞き、理解したいように理解する私たち。



私たちは自分フィルターを通して物事を見たり聞いたりしてるので、必ずしも相手が意図した通りの解釈をしているわけではありませんね。
だから、すれ違いが多発するわけです。

私たちは記事を読んだり、講演を聞いたり、テレビなどを見ていたり、様々な情報をキャッチする際に「自分フィルター」を通して、それらを処理しています。
すなわち、自分の内にある自分の価値観や考え方と照合し、それが合っている場合は「そうだ、そうだ」と受け入れ、そうでない場合には「いや違う」と批判します。

だから、本当に純粋に人の話を聴く、というのはすごく難しいものなんです。

カウンセラーってのは人のお話を伺うので、できるだけニュートラルに聞こうと思いますが、やはり「私なりの聞き方、解釈」をしていると思うのです。
そういう時は「それってこういうこと?」ってなるべくお聞きするんですが、それでもやはりずれてることってありますよね。
会話を続ける中で「ああ、そういう意味だったのね」と理解し直すことはとても多いです。


昔、うちのある受講生がセミナーに来てくれた時のこと。
打ち上げ(宴会)の席で彼女のことが話題の中心になり、同じテーブルにいた7,8人で「○○ちゃん、かわいい~」とか「○○ちゃんってすごく女の子っぽいよね」みたいな褒め大会になりました。
彼女は自分に自信がなく、コンプレックスも強い子で、そのときは恥ずかしそうに俯いたり、でも、嬉しそうにはにかんだりしてたんですね。
私のクライアントさんでもあったので、「そうだそうだ、受け取れ~、受け取れ~」とやはりニヤニヤしながら見ていました。

ところがその数か月後、別のセミナーでこの話をしたんですね。
「○○ちゃん、何か月か前のセミナーの打ち上げでみんなにかわいい、かわいい、言われてたよね!」
と話を振ると
「え?そんなことありましたっけ?」
との衝撃的な答え。

「●●って居酒屋さんに行ったよね???」
「はい。覚えてますよ」
「で、四角いテーブルに着いてみんなでしゃべってたよね?」
「はい。覚えてます。」
「その場にプロカウンセラーの△△とか、アシスタントの××ちゃんとかいたよね?」
「はい。覚えてます。」
「そのとき○○ちゃんのこと、みんなでいっぱい褒めたよね?」
「いや、そんなことは無かったと思います。」

えぇーっ!?と耳を疑いました。
おいおい、私が嘘つきになってしまうではないか(笑)

というか、彼女があまりにふつうに否定されるので、つい「あれ?私の勘違い?」と思いそうになりました。

実はその場にちょうどその打ち上げにも参加してくれた方がいて、
「ええー、○○ちゃんのこと、私も褒めたし、みんな褒めてたよ。忘れちゃったの?」
と言ってくれたんですね。

○○ちゃんが悪いんじゃないんですよね。

きっとコンプレックスがとても強い○○ちゃんは褒め言葉をほんとに受け取れなくてその出来事すら「流して」しまったのかもしれません。

この出来事は私にとって大きな教訓でもありました。
それ以来、私のカウンセリングでもセミナーでも、価値を伝える時は何らかの形でメモを取ってもらうようになりました。

でも、結局褒め言葉にしても私たちは聞きたいように聞き、受け取りたいように受け取ります。
特に「自立」というのは「自分のやり方」を持つ段階ですので、多くの方が「自分なりの解釈」をするんですね。

時には善意が悪意として伝わることもあるくらい。
凹んでる時は慰めの言葉も嫌味に聞こえるものです。
元気な時には嫌味の言葉も応援に聞こえます。

だから、「自分なりの解釈で人の話を聴いている」という意識を持っておくことって大事だと思うんです。

そうすることでだいぶ誤解は回避できると思います。

「私はこういう風に聞いた」
「私はこういうつもりで言った」

という意識を持っていたいですね。

毎日使える心理学講座


あわせて読みたい