本当の自分が目覚めるとき~抑圧と解放~


※パソコン修理中により、変則的な投稿が続きます。


例えば、こんな生き方をした来た人はいないだろうか。

子供の頃、忙しい親のもとで寂しい思いをしながら生きてきた。
妹や弟、さらには親の心を背負って生きてきた。
子どもらしい甘えたい気持ちやわがまま言いたい気持ちを押さえてきた。
子どもだから必死にその気持ちを押さえてきた。
本来情熱的な分、そこに費やすエネルギーは膨大だ。
子どもにとってはそれが生き残る術であり、家に居られる唯一の方法だから命懸けだ。
小さい頭で一生懸命考え、うまく立ち回る術を探し続けた。
結果、その試みは成功し、いつしか感情はなくなり、理性的で賢い、親から見れば、手のかからないいい子になっていた。
そうしてやっと楽になって居場所も掴んだから、感情的なわがままな自分は間違っていて、これが本当の自分だと思い込む。
そうして、学校でも先生や周りの人に迷惑をかけない優等生になっていく。
それがかけがえのない成功体験となり、その後の生き方が決まった。

頭でどうすべきか?どうするのがいいのか?を考えて、その通りに行動し、問題は起こらず、見せかけの成功を納める。
もちろん、充実感はない。それでいいと思うから感動もない。

感情が揺さぶられるような関係性は築かない。恋も仕事も結婚も深入りしない。

いつしか自分は元々クールで、理性的で、自分自身をコントロールできる大人な人間だと思い込む。

恋の成就だの、ビジネスの成功だのに受かれ、喜ぶ人たちを少し覚めた目で見ながら自分には分からない、と独りごちる。

周りの人間も、あいつに任せておけば間違いないと信頼し、何かと相談を持ち込む。それに答えるのが自分の価値で才能だと信じ込むのにそれほど時間はかからないだろう。

しかし、どこかに虚しさのような、寂寥感のような思いを抱くがそれを無視するのにも労はない。かつての苦悶からすれば訳のないことだからだ。

果たしてそんな人間の才能が、果てしなく熱く、情に厚く、誰かのために命懸けで動けるものだとは思いもしないだろう。もちろん、本人がその代表格である。

そのままこの生を終えられたらいいのだが、本能は残念ながらそれを許さない。
本来の自分に戻すために、時に仕事上のトラブルとして、夫婦関係の破綻として、愛する人の病として、大切なものを失う機会として、当人の眼前に「問題」として現れる。それが「問題」というものの本質である。

そこで再び、「本気」になる必要に迫られて、何十年ぶりかで本来の自分が持つ姿が目を覚ます。これが「ありのままの私」である。
しかし、抑圧の歴史からそれは常に死の誘惑と隣り合わせであり、苦悩に満ちて、また、止まぬ葛藤が訪れる。

そうして人は自らの才能に目覚めていくのである。かつては抑圧に使ったあの情熱を今度は解放するために使う必要に迫られながら。

なぜ、私たちは問題を抱え、苦悩するのかの答えのひとつがそこにあると思う。

これを越えたときに人生は大きく変わる。

 

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