(4/1)たかが4年、されど4年・・・。

4/1はエイプリルフール。
僕ら夫婦の結婚式記念日でもあります。
入籍日は11/11なので、我が家では「結婚記念日」は2回あるんです。
今年で4回目。

因みにはるか昔(とはいえ4週間前なのですが・・・)に生まれ出てしまった深希の予定日も4/1でした。
深希はスクスクと成長していて、このところ毎日体重が50~100グラムも増えていて、父親に似たせいかオデブ路線をひた走っているようです。

子どもが生まれるというので、今日が結婚式記念日だとはすっかり忘れていた僕ら夫婦。
お義母さんのご指摘で思い出した次第です。
もちろん、新生児の子育てが優先されるので、今年はお洒落なレストランでのお食事も無しです(^^)
育児を「天職かも!」と楽しんでいる妻にも、さすがに少し疲れが見えてきたので、桜を眺めながら少し散歩でもできたらいいな・・・と思っています。

でも、「4年か・・・ん?ほんまにまだ4年なの???」というのが素直な実感なんです。
なんかもう7,8年経っているような感じでして・・・。
だから、子どもがなかなかできなくて悩んでた・・・と思っているものの、もう生まれてるんですから、そんなに遅くはないんですよね・・・。

それくらい充実してたのでしょう。
時の流れというのは、本当に感覚とは異なるものなんだなあ・・・と思います。
これを読んでくださっている方それぞれに感じ方があろうかと思います。
たかが4年ですが、されど4年です・・・。

4年前の今頃、皆さんは何をしていたのでしょう?
「もう4年か・・・」と思われる方もいらっしゃれば、逆に「まだ4年・・・」と思ってる方もいらっしゃるでしょう。
「そんなはるか昔のように感じるわ」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

僕らも本当にいろんなことがありました・・・。
まさか4年前は今、こんな風になってる・・・なんて夢にも思いませんでした。

住むところも変わりました。
別れそうになったこともありました。
仕事も会社員を辞め、カウンセラー一本でやってます。
カウンセリングサービスも立ち上げました。
それから、つい最近ですが、子どもも生まれました。
ショコラはその頃はまだ生まれてもいませんでした。
体重も・・・だいぶ増えました・・・(涙)
この4年の間に妻もカウンセラーをしながら色んなアルバイトをしてました。
体調を何度も壊しながら。
お互いの精神的な成長というのも、とても大きなものだろうと思います。

4年前の今日は梅田のカトリック教会で結婚式を挙げ、その後、友達の夫婦二組と合同二次会なんてのをしたんです。
共通の友人が多かったので。
その友人夫婦というのが、塩田北端夫妻で、相変わらず今も仲間であり、大切な友人達です。

すごく濃くて、深い時間を感じます。
変わるものもあれば、変わらないものもあり、ああ、なんだか感慨深くなってきてしまいます・・・。
こうして時と思い出を一つずつ積み上げて行くんですよね・・・。
とても感動的なことなのかもしれません・・・。

そして、4/1は僕の親友が入籍します。
新しい夫婦がまた生まれますね。
彼のこれまでの経緯を知ってるだけに、心からオメデトウと言ってやりたいです。


(3/31)問題が解決したとき

昨晩、雨の香りがするなあ・・・と思いながら自転車を走らせていたら案の定、朝起きたらもう降り出していました。

それで、タクシーで妻の実家に向かったのですが、運転手さんと「まだ風がないだけいいよねー」「桜、散っちゃいますもんねー」なんて話をしてました。

車窓からちょこっと見えた桜はもう満開近いところもあります。
今年はまだじっくりと眺めてないんで、まだ散らないで欲しいなあ・・・。

でも、そんな風に思うのは、春の桜と秋のもみじくらいなんですよ。
ミーハーなんです(笑)

梅や桃などもきれいだとは思うのですが、ちょっと儚さがありますよね。
まだ、それを噛み締めて楽しめるほど大人になってなくて。

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この前お会いした方が「そういえば前からご相談していた主人とのセックスの問題、解決したんですよ」と切り出されました。
数ヶ月前に初めてお会いしたときには、けっこう深刻な表情でお話されていたのに、あんまり嬉しくなさそうなんです(笑)

僕が「おめでとうございます(^^)でも、けっこうあっさりされてますよね?」と言うと、

「喉元過ぎれば・・・ということなんでしょうか?意外にもそんなに感動とか無かったんですよ(苦笑)。
 それに、2,3度しただけではまだ、本当に解決したと言えるかどうかはちょっと疑問ですし、むしろ、もっといい女になりたい!という気持ちが強くなったんです。
 ただ、主人の態度とか私への接し方は随分変わりましたので、そっちの方が嬉しさは強いかもしれないです」と。

問題が解決するときって、案外、そういうもんなんですよね・・・。
もちろん、感動的な場合も少なく無いのですが、すぐにそれが信じられなかったり、次の問題が新たに出てきたり、彼女のように自分を成長させたり、もっと変えたくなっていたり。
「通過点」のような気持ちになるんでしょうね。

彼女も「これからが本当に大事だと思います」とおっしゃってました。

うん。そうですよね。これからが大切なんです。

でも、お話を伺っていくと、やはり一つ問題を乗り越えた彼女の表情には自信のような、強さのようなものが出てました。
一つ問題がクリアになると、次の新しいテーマに取り組むときにも「きっと、この問題も乗り越えていけるだろう」という自信が後押ししてくれるんです。
その自信が実際に問題を乗り越えさせてくれることになりますから、好循環ですよね。

こういう嬉しいご報告をいただいたときには、より自信を持っていただけるように、自分がしてきたことを振り返り、変化や成功を受け取るセッションをすることが多いです。
卒業式のように、一度、きちんと区切りを付けるんですね。

そうすることで、また気持ちも新たに明日からの毎日に踏み出せていけるようになるみたいです。

3/31ということで、今年度も終わるところが多いですから、こんな区切りの話をさせていただきました・・・。

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因みに彼女の「セックスの問題」というのは、ご本人のご意向で詳しくは述べません。
ただ、カウンセリングの場ならばOKと許可を頂いてますので、機会があれば、成功例の一つとして、引用させていただこうと思ってます。


(3/30)平和

ショコラに顔をぺろぺろ舐められつつ、腕や頭を引っかかれつつ、朝が明けました。
休みの日に限って・・・俺より早く起きるんやから・・・と時計を見ると10時半。
納得・・・。
そりゃ、おなか減るわな・・・。
しかも、外はとても明るくて、いい天気。
散歩をせがんでるようにも見えます。

お風呂に入ってアクを抜いて、気分すっきりショコラと出かけてみました。。
外はもう春の陽気で、今年初めて、Tシャツ&ジーンズ(僕はこのスタイルが一番好き)のいでたちで。

おぉ、気持ちいい!!

数日前から外に出ると春の香りが漂ってきてたのですが、それも本格化!!
日差しも「暑いな・・・」と感じさせるくらいのしっかりしたもので、とてもワクワクします。
ショコラも3日ぶりの散歩で、普段よりいっそう挙動不審犬となってあちこちを飛び回ってました。

最近は二つの公園を巡る散歩コースが主流なのですが、一つ目の公園では昼休みのサラリーマンがベンチにごろんと横になって、春の陽気を浴びてました。
二つ目の公園では、いつもの数倍の子供連れのお母さま達がシートを広げ、お弁当を楽しんでいらっしゃいました。
遊具のあるところには所狭しと子供たちが遊びまわってます。
ベンチではOLたちがお弁当を広げてます。
みんな、気持ち良さそうで、楽しそうで、とても穏やかな光景です。

「平和やなあ・・・」
と思わずつぶやいて・・・、じーん、、、となりました。
平和であることって、本当にすばらしいな・・・と。

そんな公園にはもう桜がだいぶ咲いていました。
桜の木をじーっと見ていると、桜の花がとてもかわいく見えました。
sakura0329.jpg←僕や理加が毎年観察している桜の木。


(3/29)恥ずかしさを越えて

久々に原と食事&お酒に出かけまして、だいぶ遅くなりました。
かつてはお店が閉店する朝五時ごろまで飲んでいたのですが、このところ、ずーっとお利口さんにしてきたので、こんなに遅い(3時に解散)のは久しぶりでした・・・。
江坂で飲んでいたのですが、この街は、車の量が減るものの、人通りは夜中の10時も12時も3時もあまり変わり無いんですよね・・・。
(日曜日の夜というのに)
その不思議さとともに、時間の感覚を忘れて、帰宅して時計を見てからびっくりしてしまいました。

サラリーマンのみんなが「花金」と言いながら、金曜日の晩に時間を忘れて楽しむ気持ちを少し思い出しましたね。
原や僕は月曜日を休みにしてますから・・・29日は休日です・・・。

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パートナーシップで、お互いの間の壁となる要素といえば「不満」や「寂しさ」というのが代表的なものと思われがちなのですが、実は「恥ずかしさ」というのが、隠れたナンバーワンだったりするんですね。

長年付き合ってきたカップルならば「いまさらそんなことするのは・・・」なんて思うことの一つや二つは出てくるものですし、付き合い始めならば、自分をパートナーに晒すことはすごく恥ずかしいものだったりします。

でも、なかなかその「恥ずかしさ」に気付くことは難しくて、こういう話をカウンセリングの場でさせていただいても、
「うん、確かにそうですね!」
という反応よりも、
「え?そうなんですか?うーん。私は別に恥ずかしいとか思うところはないんですけど・・・」
という反応の方が多かったりします。

大人になって、自立して、「自分のやり方」というものを持ち始めると、それが当たり前になり、自分にとっての常識になります。
カップルでは「自分の常識が相手の非常識」になることもとても多く、そのやり方の違いがケンカの素になるんですね。

その時に、自分のやり方を変えたり、相手のやり方を受け入れようとするとき、今までとは違う感覚になるわけで、そこに「恥ずかしさ」が生まれます。
その恥ずかしさが「惨めさ」とか「屈辱感」とか「意地」とか「プライド」を感じさせる要素になるんですね。

でも、その恥ずかしさに向き合い、そこを乗り越えていくと、すーっと腹が据わり、パートナーに対しても、自分の気持ちに対しても、まっすぐに向き合うことができるようになってきます。
何でもできるような気持ちになったり、怖いものがなくなるような気がしたり、また、きちんと物事を見つめる目を感じられたりするようになります。

そこは本当にずんとした、センターにいる感じ、がしたり、あるいは、すごく楽で、自由で、余裕を感じる状態なんですよね。

このところ、カップルカウンセリングがまた増えてきたのですが、そんな恥ずかしさを乗り越えて近づく姿を見て、改めて、そのお互いに向き合うパワーを実感させられました。


(3/28)過食と拒食

相変わらず長風呂を楽しんでいます。
小説を片手に温泉の素を入れて。
一日の疲れや気分の悪さも一発で吹っ飛ぶんですよ。
汗をたくさんかくのでダイエットにもなりそうですしね・・・(笑)
ただ、ショコラがその間、退屈そうにお風呂場を覗いてクンクン泣いたりしてます。
まぁ、許せよ。
ご主人さまの健康の為だから・・・。

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このところ、過食や拒食のご相談や報告メールをいただくことが多いんです。
流れ的に触れておいた方が良さそうな気がするのでテーマに選んでみました。
過食、拒食といっても、いわゆる過食症、拒食症と診断されることばかりではありません。
食べ過ぎるとき、食欲が沸かないとき、という風に捉えてみてもいい内容です。

物を食べる行為というのは、深層心理的には「愛情を受け取る行為」といえます。
赤ちゃんの頃、お母さんからの愛情をおっぱいを通じて受け止めていましたし、その名残もあって、幼少の頃には「口唇期」と呼ばれる何でも口に入れてしまう時期がやってきます。

過食というのは、たくさん食べ過ぎること=愛情が足りないと思っている状態であり、
一方、拒食というのは、食べ物を受け付けられない=愛情を受け取れない状態といえます。
どちらも、状況は違えど愛情を感じられないところが共通していますね。

例えば寂しさを強く感じているときなど、僕たちは愛情に飢えてくることがありますよね。
これは誰にでもあるものです。
その時に食べ物を食べると「満腹感」がやってきます。
その感覚はまるで愛情を受け取ったときのような「安心感」を感じさせてくれます。
その「安心感」を求めて、再び食べ物を口に運んでしまうのが過食です。
だから、それが悪循環にはまると、満腹になっても足りずに、一度胃の中のものを吐き出して、また、食べようとしてしまうのです。
それくらい愛情に飢えている状態なのかもしれません。

でも、それが「誰も愛してくれる人がいない」という状態とは限らないんですね。
彼氏がいても、結婚していても、同じような状態になる方がいらっしゃいます。
そのときは、彼が注いでくれる愛情が自分が欲しているものと違ったり、その愛情を得るために、自分が過剰な犠牲をしてしまっているときなどに「受け取れない状態」として現れるんです。
受け取れない要素としては、他にも「罪悪感」や「恐れ」「不安」があったりします。
「私には彼からの愛情を受け取るような資格は無いの・・・」と感じて。

そして、そこにある愛情を今度は完全に否定するようになると拒食の状態になってしまいます。
意識的に否定していなくても、愛情を信じられなくなったり、強い孤立感、不安感に苛まれるときも同じ状態になることがあります。
何も食べられず、食べる気もせず、食べてもすべて吐いてしまう・・・という。
まるで愛情を受け取ることを拒否するように、食べ物が口に入らなくなります。

とても不安になったときに食べ物を喉が通らないときってありますよね。
先ほど過食のところで書いた「安心感」が感じられない状態を「不安」というわけですから、心理的には自然な流れです。

だから、過食と拒食は紙一重で、繰り返されることがよくあるんですね・・・。

また、愛情を受け取らない状態というのは『自立』の立場なので、精神的に親の元から自立していく頃によく起きやすい状態でもありますね。

そういうときは何をテーマにしたらよいのでしょう?
そう、あなたが誰からの愛情を受け取るということが求められているのです。
それはあなたが求めている誰かからの愛情とは限りません。
あなたの周りの人たちからの愛情です。
それを本当に受け取ることが大切です。

誰かからの愛情を受け取るとき、
そして、あなたがきっと今、誰かを愛していることに気付くとき、です。