元ネタはこちらです。
「受け入れる、とは、理解して、共感して、味方で居てあげること。」
>http://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/18094
もしかしたらYさんのような方、多いんじゃないでしょうか???
こんにちは(^^)
ブログの
“受け入れ理解し共感して、味方でいてあげる”読みました。
読みおわり、とってもビックリした気付きがあり、思わずご報告。
初めてタイトルを読んだとき、私の中ではその主語が「相手に対して」だったことに気付きました!
私は今までずっとそうだったのだ、何か自分にとってショックなことなどがあったとき、咄嗟に私は相手の気持ちを理解することだけをやってきたのだ、と思いました。
これでは自分を大切にする、愛することにはなりませんね…
“受け入れ、理解し共感して、味方でいてあげる”のは自分に対してなのですね。
自分を愛する方法をまた一つ知ることができました。
ゆうべ私にとって結構な神様からのテストあり。
そして、翌日に拝見した先生のブログに今回の記事。
またまたラッキーな私です。
自分よりも相手の事情を優先するって、自分が傷付かないためにするのでしょうか?
そういう自分が持っていた自動反応にあ然としましたし、「ごめん、自分!」という気持ちです。
アラフィフでやっと自分を愛することがだんだんわかってきた私。
正直な気持ちを言えば、そのことを知らずに女盛りを通り過ぎてきてしまったこと。
唐突ですが^^;
それでも、自分の女性性に素直になり、今後の人生を楽しみたいと思います。
根本先生、ありがとうございました。
(Yさん)
>自分よりも相手の事情を優先するって、自分が傷付かないためにするのでしょうか?
例えば、こんなケースがありますね。
*
大好きな彼から突然別れを告げられた。ショックで何も言えなくなったが、涙ながらに「ごめん」を繰り返す彼のことが不憫になって、「いいよ、いいよ。私は大丈夫だから」と言ってしまった。
別れを告げたのは彼の方だったが、まるで別れを告げられたかのように落ち込んむ彼をみてなぜか心配になり、彼の話をしばらく聞いてあげていた。
本来なら私の方が泣きたいし、心は悲鳴を上げていたはずなのに、現実の私は彼のことばかりを心配していたのだった。
*
お姉さん的、自立的、プライド高い系、ちゃんとしなきゃ系、そして、大丈夫口癖族、等の皆さんはついつい「自分のことより相手のこと」に意識が向く癖があります。もちろん、男性でもそういうところは大いにありますね。
そうすると自分の心の痛みをちょっと横に置いて、ついつい彼のことばかりを心配し、考えてしまうのです。
それはYさんがお気付きのような「心の防衛」であることも少なくないんですよね。
だから、後々痛みが襲い掛かってくることも多いのです。
*
この気付き、とても大きいものだと思います。
アラフィフって謙遜する必要はありません。
今、気付いたからこそ、価値があります。
そして、女ざかりが意外と今からが始まりかもしれませんよ。
ほんと最近、色っぽいアラフィフ、多いですからねえ・・・。