友達の家庭をめちゃくちゃにしておいて自分だけ立ち直ろうなんてあつかましいのでしょうか?



罪悪感は自分を牢屋に放り込んで、一生自分を責め続けようとします。
しかし、その罪悪感にそそのかされて、本質を見失っていることも多いのかもしれません。
自分を責めるよりも自分と向き合う方が偉大なんです。

気が付けば少しお久しぶりな感じがしますね。
今日はリクエストにお応えしましょうね。
***
 友だちの旦那さんに連絡先を聞かれ、それからメールのやり取りが始まり、お仕事の帰りやお休みの日の少しの時間でも会いに来てくれるようになりました

友だちに悪いと思いながらも、いつの間にか彼の存在が心の支えになっていました
しかし、友だちにメールのやり取りに気付かれ、共通の友人たちにも知られることになり、一瞬にしてたくさんの人たちを傷つけ、失ってしまいました

今、私に出来ることは連絡しない事、と思い、それ以来、一切連絡していません
彼の笑顔や声を思い出すと、会いたくて愛おしくて泣いてしまいます
でも、大事にしてもらったことは一生の宝物、彼に会えたことは私の自慢、そう思っています

彼はよく「いつも笑ってるね」とか「優しいなあ」とか「いつも元気もらってるよ」って言ってくれていました
もう会えないけど、ずっと彼に好きになってもらった時のような自分でいられるように努力していくことで彼との繋がりを感じて前向きに生きていこう、という気持ちになると、

同時に友だちの顔が浮かび、
人の旦那をそそのかして、家庭をめちゃくちゃにしておいて、自分だけ立ち直ろうなんて、あつかましい、
一生、苦しんでほしい、
一生、笑わないで!

と、言われてるような気持ちに襲われ、前向きになろうとしてしまった自分を責めます

やっぱり彼と過ごした日々は間違いだった
一生、苦しむことで彼女へ償っていかなければ…と思った瞬間、

でも、私にとっては大切なことだった、彼に必要としてもらえて、
めちゃくちゃしあわせだった、と思う自分が出てきます

そのせめぎ合いを1日中、頭の中で繰り返していて、もう疲れました

大好きな友だちを苦しめてしまい、無力感でいっぱいです
私はいない方が良かったのかもしれません
こんな私にもその先に光はあるんでしょうか

いつも根本さんのブログをすがるような想いで拝読させて頂いています
大好きです
(Yさん)
***

「大好きです」

(照)(*^_^*)

いい言葉ですねえ・・・。縁側でお茶を飲みながらしみじみ味わいたい言葉です。

ありがとうございます!!

では!今日はこの辺で!!(笑)

この下りって、セミナーとかでやるとウケるんですけどブログでやるとスベった感がハンパないですね・・・。

さて、本題です。

Yさん、明らかに自分を牢屋に入れちゃってる感じですよね。。。
鉄格子の中でひたすら我が罪を反省し、また、彼のことを思い出して胸を熱くし、またそんな自分を罰し、友達の顔を浮かべて悔い、自分を責めている・・・そんな光景が目に浮かびます。

それだけ罪悪感を抱えている、ということですね。

一生償っていくってことは終身刑に処す、という感じでしょうか?
だから、「その先に光があるんでしょうか?」と思ってしまうんですよね。

> 人の旦那をそそのかして、家庭をめちゃくちゃにしておいて、自分だけ立ち直ろうなんて、あつかましい、
> 一生、苦しんでほしい、
> 一生、笑わないで!
>
> と、言われてるような気持ちに襲われ、前向きになろうとしてしまった自分を責めます

これ、誰が言っているのでしょうか?
まさに「投影」なんですよね。
自分がそう思っているから、きっと相手もそう思っているだろう、と。

もちろん、その友達も周りの人もそう思っているかもしれません。
でも、少なくてもYさん自身がその言葉を使って、自分を責めているんですね。

罪悪感ってほんと厄介な奴なんです。
まあ、憎めないところもある良い奴なんですけど、どんどん自分を傷つけようとするので・・・。

もう十分自分を罰したんじゃないでしょうか?
罪は償ったんじゃないでしょうか?

でも、実はYさん。本質を少し見落としてるのかもしれません。
まあ、この本質というのもネモト的な見方なので、他の見方もあろうかと思いますが。
(私の名前の都合により漢字で書くとまったく違う意味になるので敢えてカタカナで書かせて頂いております。)

カウンセリングって裁判じゃないので「Yさんが悪い」なんて判断はしないんですよ。
そもそも善悪なんてないって立場ですのでね。

だから、カウンセラーとしてはこう思うわけです。

「なんで、そうなったの?」って。

友達の旦那さんがYさんに連絡を取ろうとしたのは、きっと彼ら夫婦が何らかの問題を抱えているから、ですよね?
彼らが幸せであるならば、Yさんにちょくちょく会いに来たりする必要がないんですから。

また、Yさんがそれに応えてしまい、彼が心の支えになってしまったということは、それだけの寂しさや不安や何かをYさんが抱えていた、ということですよね?

友達夫婦のことはいいとして、Yさん自身のその心の問題は解決したんでしょうか?

また「彼代わり」を探そうとしていませんか?
自分の心を支えてくれる存在を。

もし、なぜ、彼を受け入れてしまったのか?支えにしてしまったのか?というそもそもの問題がクリアになっていなければ、今、できることはそこと向き合うことなんです。

自分を責める暇はないんです!やることがいっぱいあって忙しいんです!!(笑)

自分を責めることよりも偉大なことは、その自分の痛みと向き合い、自分を許すことですね。
そのための時間を作ってみてはいかがでしょうか?
カウンセリングやセミナーをそのために活用することもお勧めです。

どうして彼を求めてしまったんだろう?という心を見ていきましょう。
寂しかった?
つまんなかった?
刺激がほしかった?
不安だった?
誰かのぬくもりを感じたかった?
友達の幸せを羨んでた?
そもそも自分は幸せになれないと思ってた?

そして、さらにはどうして寂しかったんだろう?どうして自分の幸せを許せないんだろう?って掘り下げて生きませんか。

そこからはとても素敵な宝物(ヴィジョン、可能性、才能、価値、魅力、ライフワーク)が見つかるものです。

もちろん、してしまったこと(事実)は変わりません。
その結果、友達を失ったり、信頼を失ったり、周りを巻き込んで迷惑をかけたりすることもあるでしょう。
でも、それはまたお互いの絆を深めるための「刺激」に過ぎないのです。
そこで切れるような関係だとすれば、それだけのこと。
ほんとうの友達というのは、お互いに相手を理解し合い、尊重し合い、こういう本当に苦しい状況でも何とか「相手のために」立ち直って、よい関係を築いて行こうとするものです。
それだけの価値を見てるからこその、友達、ですから。

だから、自分を責めるよりも、その友達の強さを信頼してみてください。
自分がしてしまったことで傷つけたかもしれないけれど、その傷を乗り越える強さを彼女は持っている、と。

巻き込んでしまった周りの人たちには「こいつ、放っておくと何するか分からないから、かまってやらなきゃあかんな」と思ってもらういい機会かもしれませんね。

「私って、そういう女なんよ~」と受け入れていきましょう。

すぐにはできませんけど、いずれはね。

そして、ヴィジョンとしてはぜひ、これをネタに友達と笑い合える日が来ることを。
「あのとき、あんなことがあったね~」って。

そんな奇跡みたいなことも起こるんですよ。この素晴らしい人生では。

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