助けを求められずに広がる傷口~自立と信頼について(2)~ 助けを求められずに広がる傷口~自立と信頼について(2)~



ラブ・カウンセリング

先週の続きです・・・。

じゃあ、どうしたら、そんな風に誰かを信頼できるようになるのでしょう?

それは非常に難しい命題なのですが、シンプルなレッスンを紹介しましょう。
もしかしたら、少し意外に思われるかもしれません。

あなたが頑張ってきたことを認め、受け入れ、承認してあげます。
「私って、偉いよね」
「俺って頑張ってきたよな」

そう言える証拠を集めてみましょう。
「今日も頑張って仕事した、俺って偉いよなっ!」
「彼のためにちゃんと今日もお料理した。私って素敵☆」

できるだけハードルを下げることが大切。
「そんなの当たり前」と思わないことがものすごく大事。

これを日々、続けてみましょう。

ただ、始めのうちは「感情をこめる」必要はありません。
淡々と機械的に繰り返して頂いても十分効果はあります。


このエクササイズの結果、あなたは自由を手に入れられます。

「私、自分にできることは自分なりに全部やったと思う」
「俺、自分にできることは自分なりに全部やっている」

こういう感覚に至れば、素晴らしい。
最大限の自己承認です。

もちろん、このレッスンのポイントは“自分なりに”というところです。
誰かとの比較、一般常識との比較ではなく、“自分なりに”なのです。

それが出来たとき、あなたは誰かを信頼することができるようになっています。
だって、自信が付いているのですから。

「だから、よろしくお願いします。どうか私の力になってください」

と堂々と言えます。きっと。

「誰かを信頼する」とは、「自分を信頼すること(=自信)」に他ならないのです。

そこでは、何とかなるだろう、何とかできるだろう、何とかするだろう、と思えます。

その上で、自分の手には負えないな、と思えば、素直に白旗を揚げられます。
「これだけ頑張ってもダメだったんだもの、誰かにお願いするしかないよね」という心境です。

だから、そのとき、あなたが選んだ“信頼できる人”にすべてをさらけ出し、そして、お任せすることができるようになるのです。

それはもうすでに恥ずかしいことではないし、惨めなことでもありません。

歯が痛いときに歯医者さんに行くの、恥ずかしいでしょうか?
髪が伸びたからと、美容院に行くの、惨めでしょうか?

恥ずかしさや惨めさは、多くの場合、自らのプライドから生まれます。
そのプライドは、あなたの心が傷ついている分だけ高くなります。
そして、心が傷ついていると、どうしても自信が持てないですよね。
だから、何でも自分でやろうとしてしまい、誰かに頼ることが恥ずかしかったり、惨めに感じられるのです。

さて、ここでは「自分ひとりで誰かを信頼できるようになるまで」を紹介しました。

相手がどんな状態であれ、上のプロセスを辿ることであなたは誰かを信頼することができるようになります。
「自分をちゃんと認め、自分の足で立っている状態」なので、相手の状態に左右されないからなんです。

つまり、相手に拒絶されたとしても、傷つくことはありません。
「あ、タイミングを間違えちゃった」
「そっか、彼も今、大変なときだったんだ」

(因みに傷つくとしたら、それは「信頼」ではなく「依存」です)

また、「自己承認ができて、自立してる状態」では、相手のことがよく見えます。
依存のときは盲目的になりますが、自立してる分、相手が今どのような状態なのか、相手が私を受け入れる余裕があるのか、相手に伝わり易い表現がどれなのか、ある程度分かります。

だから、相手が受け取りやすいボールを投げてあげることもできるんです。
(ただし、そのためには多少のトレーニング=経験、は必須かと思いますが)

でも、これって特別なことじゃないですね。皆さん、普通にこういうこと、してるんですよ。

「すぐにでも電話で話したいけど、今週は忙しいって言ってたな。じゃあ、メールでちょっと時間作ってくれないか頼んでおこう」

とか、

(今、彼女、ご主人とのことで結構大変なんだけどな。でも、知っておいて欲しいし、彼女の意見も聞いておきたいし)「もしもし。今、旦那さんと大変なときって知ってて、敢えて、なんだけどね。10分くらい、私の話に付き合ってもらってもいい?しんどかったら言うてね。(中略)ありがとう。お陰で助かったわー。ほんと、大変なときにごめんね。」

・・・みたいなこと、してませんか?

これ、信頼の一つの表現なんです。

だから、意外とみんなしてるんじゃないかなあ、と思いますよ。ただ、それができないときってのは、よほど、しんどい状態なんだろうと思うのです。
ふつうに出来てることが出来なくなるわけですからね。そういうときこそ、SOSを発するときではないでしょうか。

さて、心理学的には、今までお話したように「自分から相手を信頼していく」ことに重点を起きます。しかし、現実的には、そればかりではなく、自分ひとりが頑張らなきゃいけないことばかりではありませんよね。
相手が信頼を築くお手伝い、というか、呼び水というか、そうした道を敷いてくれることが少なくありません。

「ちゃんと私の話を聞いてくれる」
「腑に落ちる言葉をかけてくれる」
「ちゃんと見てくれているという感じがする」
「何でも大丈夫て安心感がある」
「声を聞くと、姿を見ると、安心する」

こうした感覚があると、その人を信頼し易い状況が作られますよね。

とはいえ、この辺は現実的にはまた「信頼」ではなく「依存」になりやすい危険性をはらむのも事実ですね。

そもそも「~してくれる」「~して欲しい」というのは“依存”の表現ですから。

先ほども少し説明しましたが、依存なのか、信頼なのかの差は、一言で言えば“主体性”の違いです。

相手の態度だけで“信頼”はできないんですよね。
先に紹介した自己承認がないと、信頼に見えて、実は“依存”ということが少なくないのです。

でも、難しく考えるのはやめましょう。それくらい“純度100%の信頼”は難しいわけですから、依存が混じっていてもそれはそれで構わないんです。
相手が“信頼に足る相手”と思えば、次にあなたがその関係性を通じて自己承認をしていくことも可能ですよね。そうすると“依存”が“信頼”に成長していきます。

特に問題を抱えているときは弱っている分、どうしても“依存”しやすいですからね。
だから、“信頼に成長させる”ことを目標としてもいいのです。

まずは、自己承認を始めつつ、人を信頼していくことを学んでいきましょうね。

#お勧めなのは、問題が起こる前から“駆け込み寺”を作っておくことなんです。。親友、恩師、先輩、家族、カウンセラー等、あなたが普段から、この人は信頼が置けるなあ、と言う人を1人でも多くリストアップしておくことはとても重要なことだと思うのです。

参考になりましたら幸いです。


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