「見捨てられるんじゃないか?」という不安が教えてくれるあなたの才能。



ラブ・カウンセリング

例えば、彼ができて、幸せなはずなのに、でも、いつかこの人は私のもとを去っていくのではないか?私は見捨てられるんじゃないのか?という不安を抱いてしまう・・・また、どうせ私はひとりぼっちになるんだから、好きな人なんてできないほうがいいかもしれない、とか思ってしまうこと、ありませんか?
そして、ひとりぼっちになることを思えば、本当に怖くて、震えるくらい不安を掻きたてられていて、藁をも掴む、という気持ちになってしまったり。

それは相手を変えても、結婚しても変わらないものだとしたら、あなたの心の中に、しっかり根付いてしまっているのかも知れません。

その不安、大きく言えば“無価値感”の一部。
自分には愛される価値なんてない、だから、見捨てられるに違いない、という気持ちですね。


この感情は、恋愛モードでよく出てくるのですが、そのルーツと言えば、ずいぶんと遡るものです。

というのも、この「見捨てられるじゃないか?」という不安は、依存心の現れですよね。だから、あなたの依存時代、すなわち、幼少期にそのルーツを見出すことができるのです。

いわば、子ども時代から、意識する、しないは別として、ずっとこの気持ちを持ち続けて来たのかもしれません。

そう思えば・・・人との接点で、心当たり、ありませんか?

幼少時代は、私たちは親(特に母親)にべったりと依存します。
ところが、お母さんだって人間、あなたを突き放したり、冷たくしたりすることも出てくるわけです。
でも、そのとき、「もしかしたら私は要らない子?」とか「このままだったらここにいられないかもしれない」とか「私は何もできないから迷惑ばかりかけてしまう」という思いを子どもは持つんですね。

また、妹や弟が生まれて、親の愛が全部そっちに行ってしまったように感じたり、自分より他のきょうだいを大事にしているように思えたり、また、夫婦仲がとっても良くて、自分がいつも邪魔者のように感じていたりすると、やはり「自分はあまり必要じゃないのでは?」という思いが生まれます。

どれも誤解なことが多いのですが、べったりと依存状態にあると、それが「いつかは自分は見捨てられるんじゃないか?」という不安を作り出すんです。
そこで一生懸命親の役に立とうと頑張ったり、我慢したりするわけですが、それでも不安は拭われず、自分をすっかり隠して人の顔色ばかりを伺うようになることもあります。

だから、実際に橋の下に捨てられそうになった、とか、「お前なんか出て行け!」と言われ続けた、とか、虐待やいじめがあったとか、の経験がなくても、この不安は私たちの心に根付いていくのです。

でも、こういうことってどの家庭でも普通に起こりますよね?
だから、この見捨てられる不安というのは、多かれ少なかれ、誰もが持っているものなんですね。

しかし、大人になるにつれて、自立が進んでいくと、この不安は解消されるというよりも、心の中に封印されていきます。
例えば、その不安を自ら動いて何とかしようとしたり、あるいは、自分で何とかしなきゃいけなかったりする環境にあると、この不安を感じていても苦しいだけですから、感じないように抑圧し、封印します。
そして、そんな不安など微塵も感じさせない自立した大人になっていきます。

でも、なくなったわけではないんですよね。見えなくなっただけで。
だから、恋愛などの人間関係で、再び依存状態が訪れると、この不安も一緒に目覚めて、かつて感じていた「見捨てられるんじゃないか?」という思いに再び駆られるようになるのです。

この不安を解消しようと何かして、アルコール、ギャンブル、ドラッグから、買い物、恋愛、H、仕事などの刺激的なものに依存していくようになることもあります。

また、この不安を強く抑圧している人は「見捨てられる不安」から「見捨てられる前に見捨てる」という行動に出ることも多いんですね。

そういうわけで、大人になってもこの不安を常に感じる方は、ある意味守られた環境で育ったのですが、一方で、押さえきれないほどの豊かな感受性の持ち主であることが少なくないんです。
すなわち、とても精度のいいアンテナをお持ちだということですね。

だから、この不安を解消するには、そうした子ども時代のトラウマを癒すのはもちろん、それと同時に、“才能”に目を向けていくことも効果的なアプローチだと考えるのです。

さて、こういう不安を感じる方は感受性が豊かで、とても人の感覚、感情の動きに敏感なので、人の心の動きを読み取ることがとっても上手なんですね。
だから、とっても人を居心地よくさせてあげることができるんです。いわゆる、きめ細かなサービス、が天然で出来てしまう人だったりします。

だから、そういう『人に喜んでもらうこと』がほんとうはすごく嬉しいはずで、これを知っておくだけでもこれからの生きる方向性のヒントになるかもしれません。
そして、できる範囲で「その人が喜ぶこと」を少しずつやってみると、この不安は解消されていきますね。でも、相手に期待するのは禁物。この不安は期待を生み出しますので、「きっと喜んでくれるはず」なんて思うと空振りします。
「受け取ってくれたらラッキー」くらいの認識の方が良いんです。だって、相手も怖いですからね。

また、恋愛などの人間関係では、引き寄せの法則によってある現象が起こります。
それは、自分と同じくらい見捨てられる不安を持つ人を引き寄せたり、自分が引き寄せられていくことなんです。
でも、その相手は、その不安は強く抑圧して、表面的には微塵もその雰囲気を感じさせないような男性だったりします。
そんな彼は、見捨てられる不安を抑圧しているので、彼のその不安を彼女が引き受けることが多くなるんですね。
すると、あなたはは二人分の見捨てられる不安を持つようになるわけです。
(無意識的に見れば、彼の不安を自分が吸い取ってあげることで彼を助けようとしています)

でも、二人分の不安。これ、ハンパない量ですよね。
しかも、半分は彼のものなのですが、そんなこと気付かないですから、なんて自分は不安が強いんだろう?なんで彼のことを信じられないんだろう?と自己嫌悪も加速していきます。
ほんとはそうじゃないんですけどね。

でも、こういう経験を一度でもしてしまうと、恋をすることがものすごく怖くなりますし、そもそも人に近づくこと自体がタブーになってしまったりします。

また、こういう感受性の強い方は恋愛じゃなくても、人の感情を吸い取るのが上手というか、“生業(なりわい)”みたいなところがあるので、周りに居る人の不安を一手に引き受けてしまって、常に何らかの不安に苛まれることもあるんです。

でも、そういう人の感情を吸い取って、相手を楽にしてあげる、というのは、いわゆる“ヒーラー”の才能の一つで、古くは呪術師や占い師も持っている才能と言えます。

「そういう風に、人を助けてきたんだな」という自覚を持つと、無価値感が少しずつですけれど、癒されていきます。そして、「人に必要とされている」という感覚を受け取ることが出来ます。

また、「もっと与えてあげたい、癒しを与えたい」という思いを持つと、見捨てられる不安から、見捨てない愛へと昇華させることができるので、人生が180度変わり、自分がほんとうに必要とされていることを実感することができるのです。

つい、その不安を誰かに「解消してもらいたい」と思ってしまうものですが、そこは切り替えどころ。誰かに与えること、愛することで、この不安を変えていくことが出来ますし、また、才能をより開花させること、そして、これから先の生きる道を見つけてくれるんですね。

その豊かな才能を使って、ぜひ、多くの人のために役立てて頂けたら、といつも願うのです。

参考になりましたら幸いです。

※「与える」とは「相手が喜ぶことをしてあげて、その姿を見て自分も嬉しい事」のことだと思ってくださいね。


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