<リクエスト>
結婚3年目ですが、もう3回も他に好きな人ができました。夫は私を無条件に愛してくれていて、男には珍しく、愛を言葉や態度で示してくれる人で、私を必要としています。付き合っているときは、私も彼がいないと生きていけませんでした。今も私は夫を愛していますが、夫が一番大好きな人でなくなってしまうたびに、死のうかと思うくらい苦しいです。どうしたら、他に好きな人が出来ても苦しまず、一人の人を一生愛しとおすことができますか?
(ぷちさん)
<根本からの回答>
『夫婦』あるいは『妻』が怖いのかも・・・。深く自分を見つめるのはどうでしょう?
ぶちさんにとって、「好き」であることと、「愛する」ということの違いってどんな感じかと思われますか?
また、「夫」と「彼氏」の違いとは、どう感じられますか?
論理的な答えではなく、感覚的、感情的な表現で構いませんので、ちょっと思いをめぐらせて見てはいかがでしょうか?
きっと、この感覚が大きなヒントを与えてくれると思うのです。
例えば、「恋愛のときめきが大好き!」という恋愛系な生き方をされる方は、結婚生活などの“落ち着いた”あるいは“落ち着きを求められる”環境が大嫌いです。
だから、自分は結婚には向いていないのではないか?あるいは、もっといい人がいるのではないか?という猜疑心に常にとらわれるようになります。
そして、心はときめきを求めて常にさまようことになります。
そういう場合は、まず「恋愛至上主義」な自分を受け入れ、許していくところがスタート地点となります。
また、ぶちさんの場合は、ご主人が何でも受け入れ、愛情も示してくれる人だからこそ、3回もほかに好きな人ができたと思うんですね。
とっても優しくて、あったかいんだけど、刺激的ではない、という感じでしょうか。
逆に言えば、彼がぶちさんをぶるんぶるんと振り回す人であれば、そんな他所に目を向ける余裕はなかったのかもしれません。(ただし、そういう人と結婚したかどうかは別ですが)
だから、安定的な生活はご主人に求めるけれど、恋のわくわくは感じられないから外に求めてしまうのかもしれません。
そうするとご主人とオアシスとして、砂漠を行き来するキャラバンのような生き方になってしまうんですね。
心のよりどころがあるんだけど、常に、罪悪感や不満感とお友達になってしまうんです。
それとまったく違う見方ですが、3回も好きな人ができてしまったとすれば、ご主人に対しては“罪悪感”を強く持ちますよね。
この罪悪感があると、ご主人に多少の不満を感じたとしても「私はもっとひどいことをしているんだし」と我慢してしまうことも少なくないんですね。
そうすると、「悪いのは私」と思っている一方で、ご主人への不満を隠し持ってしまっているのかもしれません。
そうしたら、好きになれなくても無理はないですよね。
そういう風に見てくると、ぶちさんにとっては、「恋愛」と「結婚」、「彼氏」と「夫」が乖離してしまっているような気がするんですよね。
となると、お決まりですけれど、ぶちさんの育った家庭環境に目を向けてみる必要があると思います。
家族や家庭というものについて、
父、母、について、
両親の夫婦仲について、
あるいは兄弟姉妹との関係性について、掘り下げてみると、なんでそうなっちゃうのか?何で結婚してもひとつのところに落ち着けないのか?というところが分かってくるかもしれません。
そういう意味では、子供時代に十分、親に甘えられなかった(あるいは、ずーっと甘えてきてしまった)というところはありますでしょうか?
大局的な見方をすれば、結婚を機にぶちさんは「愛するとはどういうことか?」を学ぼうとされてるように思うんです。
「好き」は長続きしませんが、「愛する」は一生もの。
「好き」は感情のものですが、「愛する」は深いところから湧き上がるもの。
そうした点を学ぶ上でも、もし機会があれば、カウンセリングあるいはワークショップなどを受講されてみることをお勧めしたいですね。
そうした中で、「なぜ、こんなにいい夫なのに愛せないのか?」「ほかに好きな人をたくさん作ってしまうのか?」を見つめていくといいかもしれません。
そして、ご主人と向き合える自分へと磨かれていくことを願ってます。
参考になりましたら幸いです。
=お勧め!エクササイズ=
【パートナーがいらっしゃる方へ】
惚れ直す。「あなたのここが大好き」を伝える。
恥ずかしさは敵だ!!
【パートナーがいらっしゃらない方へ】
男(女)ってここが素敵・・・を30個リストアップ。よ~い、どん!!