[25]嫉妬してしまうのはなぜ?



明日(日付的には今日)から福岡出張です。
毎月どこかに出張してるせいで、よく言えば「余裕」、悪く言えば「緊張感がない」という感じでして、先ほど4泊5日分の荷物をかばんに詰め込んだところです。

前回の福岡出張時には危うく寝坊しかけまして(結果的には余裕でセーフだった)、今回はそんなことがないようにしたいところです。
正直、朝早いのは苦手なので、少々びびっております・・・。

※この場でなんですが、予定通り4/14から5月東京出張分の面談カウンセリングの受付を開始します。(詳細はこちら
もちろん、来週分の電話カウンセリングのご予約も同日から承ります。


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今日の男女関係のなぜ?は「嫉妬について(ペットにまで嫉妬してしまう心理)」です。

嫉妬・・・。

いやですよね・・・。

僕も嫌です・・・。

嫉妬については心理学講座でも扱ってます(→こちら)。

嫉妬という感情は、怒り、不安、寂しさ、悲しみ、嫌悪感、不快感、罪悪感、無価値感、敗北感、喪失感等々、様々な感情がミックスされたもので、言わば、「新歓コンパで飲まされる罰ゲームのジュース(※)」のようなものかもしれません。

(※)ビールをベースに、焼酎と醤油とソースを混ぜ、マヨネーズとテーブルの上に残ってる野菜や揚げ物のカケラなどが混入され、塩・トオガラシ・タバスコ等で味を調えられた飲み物。

想像するだけでおぞましい感情かもしれません・・・。

で、この嫉妬。
対象となるのは「人間」だけではありません。
仕事、モノ、趣味、考え方等々、ありとあらゆるものが対象になります。
もちろん、ペットにだって嫉妬してしまうんです。

「私と仕事とどっちが大切なのよ!」
と主張するのは、「私はあなたの仕事に嫉妬している」というのと同義語です。

「お前は何でそう子どもの味方ばかりするんだ」
と主張するのは、「俺は自分の子どもにも嫉妬してるんだ」という意味です。

分かりやすく纏めてしまえば、「自分を○○より大切にしてもらってない」という不満が嫉妬の原型と言えるのではないでしょうか?

○○と自分との比較があり、競争があるんですね。
で、その競争に敗れたように感じたり、比較されたことによって感じる感情なのかもしれません。

だから、対象は人に限らないわけですし、時間、空間を越えて、嫉妬の感情は飛んでいきます。

感情は何でもそうですが、理屈に合わないことがとても多いんです。

普通に考えれば、「サッカー」と「私」は比べる対象ではないはずですし、大人な私の部分は「せっかくの休日くらい、好きな趣味を思い切りやって欲しい」と思うわけですが、
「今度の土曜、サッカーの試合やねん」
と言われると、つい、むきーっとなって
「へえ、あんた、私よりサッカーが好きなの?じゃあ、サッカーと結婚すれば良かったのにね」
と言ってしまうわけです。

競争や比較ですので、これは「自立」の問題なんですね。
プライドが傷つけられたように感じたり、
自分を蔑ろにされてるように感じたり、
自分の存在意義を感じられなくなったり、
そういう場面で出てくるものです。

誰もが、どんな場面でも、どんなものに対しても感じる感情・・・それが嫉妬というもんなのです。

自立している分、この感情を認め、受け入れるにはすごく勇気が要ります。
本当に、血ヘドを吐くくらい嫌悪感がすることもありますし、泥水を飲むような屈辱感にまみれることだってありますから、自分がそんな状態だって認めることにはすごく心理的な抵抗があるんですね。

だから、多くの方は「いや、僕はそんなことでは嫉妬なんかしないよ」って抑圧しようとします。

でも、その嫉妬はなくなったわけじゃないので、ねちねち嫌味を言ったり、裏から手を回して相手が困るようなことをしたり、あからさまに別件で悪口を言ってみたり、一層嫌悪の対象となる方向に感情を向けてしまいます。

で、そんな自分にも嫌悪感を感じるので、その対象からは遠ざかる方向に向かいます。
遠ざかるということは、その対象に関するものからは目を背けようとしますから、むしろ、嫉妬の対象はどんどん広がっていくようになります。

例えば「私と仕事とどっちが大事なのよ」と言ってしまうとすると、そんな自分に嫌悪感を感じたり、嫉妬心を隠そうとしますから、「彼の仕事がらみ」は一式、嫉妬の対象になってしまいます。

「家に仕事を持ち帰ってきた」
 → むかむかっ

「上司に飲みに誘われた」
 → む、む、むかむかむかーっ

「今日会社でこんなことがあった・・・」
 → むむむむむむー、もう、いいわよっ。会社と付き合えばっ?さよなら!!

旦那さんが会社に行ってくれてるお陰で、今日もご飯が食べられるってことは百も承知です。
でも、本音から言えば「だからって、あたしをそんなに放っておいていいわけ?」と感じるんですね。
仮に先週の土日はずっと一緒に買い物に付き合ってくれたとしても関係はありません。

物分りの悪い妻だわ、と思いつつも、やっぱり怒ってしまうわけです。

そんな嫉妬心の裏側にあるものは「自信のない私」です。

サッカーに嫉妬してしまう私。
本音の本音は「あたしはサッカーよりも魅力が無いんだ・・・」です。

そういう意味では、サッカーよりも魅力的な私になろう!というのが目標なんですけど、対象がモノになってしまうと「サッカーよりも魅力的な私ってどんなん???」と迷ってしまいます。

ましてや、その対象が人、しかも、同性になってしまったら「あんな女のどこがいいのよ!」と大いに拒絶してしまうでしょう。
でも、本音はやっぱり「あの女性の方が、私よりも魅力を感じるんだ・・・」というショック&絶望なのかもしれません。

でも、嫉妬を感じたときには、その裏側の自信の無さ、不安、寂しさと言った感情を素直に受け入れることが大事なのです。

「私は○○に嫉妬してる」って素直に言える人って、素敵だと思いませんか?

ある意味では、プライドを捨てて、敗北を受け入れるようなものです。
自分の非や不足を受け入れ、その分の成長を自分に約束するようなものです。

競争を手放すことは、私達が本当に成熟していくためには必須科目と言えるものですから、嫉妬を受け入れていくことは、その最難関テストのようなものかもしれません。

実はそうしたネガティブな感情群を受け入れていくと、それだけで一歩も二歩も成長できます。
言わば、滝に打たれる修行をするがごとく、ネガティブな感情に打たれるわけですから、自分自身を鍛え、成長させてくれるきっかけ、チャンスでもあるんですね。

一方で、嫉妬を感じるということは、あなたが情熱の女、情熱の男である証です。
だから、本当は相手をメロメロに溶かしてあげるくらいの熱いハートを持っているんですね。

でも、何らかの経緯(過去の失敗や痛み)があって、その情熱を嫉妬する方向に使ってるのかもしれません。

それはとても勿体無いことです。

嫉妬を受け入れ、乗り越えていくと、本当に成熟した美しさやしなやかさ、強さを手にすることができます。
(これは一度ならず、何度もやってきます)

嫉妬の方向に使っていたエネルギーを情熱の方に向けられるので、今まで以上に、圧倒的に相手を愛することもできるようになります。

それは自分をいつでも捨てられるくらいの覚悟を持った愛情。
漠然とした、根拠の無い自信。
そして、その経緯によって封印されていた魅力や才能の開花。

いいことばかり書き連ねてますけど、嘘じゃないです。

嫉妬するくらいの情熱で、
誰かを愛せたとしたら?
自分を魅力的に見せられたとしたら?
何かの目標に向かって突き進むことができたら?

きっと、人生も大きく変わっていくんじゃないでしょうか?

嫉妬という感情は、そういう意味ではとても「美味しい」感情なのです。
苦しいものだけれど、向き合えば、きちんとその分だけリターンがあるんです。

その輝きを受け取る準備をしていきましょう。

***

なお、「本文中の例えに妙なリアルさを感じるなあ・・・」と感じたり、「根本さん、今日は変に気合が入ってるなあ」と感じた方は、何も言わず、そっとしてやってください・・・・・・。


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