本来こうしなきゃいけないんじゃないか?はそうしなきゃいけないのか?



例えば、自分で考えて判断を下す、ということが苦手だとしたら、それは克服した方がいいのかどうか?
私としては、苦手なことに価値を見いだせるのならばいいけれど、そうでないのならば、したいこと、好きなことをしていく方がずっと価値があり、幸せだと思うのです。

**********
私は、自分で考えて判断を下す、決断するということがとても苦手です。
仕事面においては、上司の指示を仰ぎ、与えられたことをしっかりこなすというポジションが向いていて、何かの問題が起きたりしたときに、自分で考えて対処したりすることが極度に苦手のように思います。
また、何事においても、どう思うか?と自分の意見を求められるとどう答えればいいかわからないことも多々あり、自分の気持ちや意見を話すことはあまり得意ではありません。
性格はおとなしい・控え目・おっとりしていると言われることが多いですが、しっかりしている、仕事が出来るとも言われることがあります。また4人兄弟の3番目ですが、長女と思われることも度々あります。

少し前に、仕事で、自分で考えて判断することが必要になる新たな業務が加わったのですが、やはりどうしても苦手で、上司の判断でその業務からは離れることになりました。

そのとき上司からは「向き不向きがあるから気にしなくてよいよ」と言われました。
自分でも向いてないように思いますが、以前別の会社にいた時も、自分がリーダーを任された場面で上手くできなかったことがあり、似たような出来事が度々起こるということは、何か意味があるのでしょうか?

正直に言うと、まだあまり向き合いたくない、今までのままでいたいと思いますが、今からでもできることや意識しておくことはありますでしょうか。
(Hさん)
****************


現実的には年齢や経験と共にだんだん「言われたことをする」側から、「自分で考えて判断を下す」側に移行していくことが多いと思います。
Hさんが今回だけでなく、以前からそういう立場に置かれることがあったということは、それだけ上司から実力を評価されていたり、これからを期待されている証でもあります。

カウンセラーとしてはHさんが「なぜ、自分で考えて判断を下すことが苦手なのだろう?」という見方をしたくなってしまいます。

4人兄弟の3番目ということも多少なりとも影響しているかもしれません。
ただ、長女のように見えることもある、ということで、自分の意見を抑えることが多い位置にいたのかもしれないですね。

ちなみに4人兄弟の3番目というのは一般的には自分の存在価値を感じにくポジションです。
上に2人いて、3番目というのはある意味親も子育てに「慣れ」が出てくる頃ですし、存在感としては一番下がどうしても目立つので、3番目と言うのは存在が消えやすいんですね。それ故、家族に縛られず自由に、独特な人生を歩むことも可能だったりするのです。

思い当たるところはありますか?

また、兄弟の中で、あるいは小中高と続く学校生活の中で、自分を表現する機会を持たないとどうしても自分の意見を言いにくくなり、周りに合わせたり、言われたことだけを一生懸命するタイプに育ちやすいです。

ただ、この辺はより具体的にお話を伺ってみないと何とも言えないですね。
また機会があればお聞かせくださいね。

さて、(ようやく!?)本題です(笑)

実はそれが悪いわけではないと思うのです。
上司の方がおっしゃるように「向き不向きがある」と思って自分に合うポジションに居続けたっていいんですよね。

問題があるとすれば、「自分で考えて判断する、決断すること」が“必須”で“正しく”て、“それができない私はダメだ”と思うことです。

相互依存的な考え方をすれば、もし、Hさんが自分で考えて判断することが苦手ならば、それを得意とする人を上司なり同僚なりが近くに現れます。そして、Hさんはその意見を「なるほどな!」と納得して自分ができることに集中すれば、お互いに幸せになれます。
苦手なことをすることほど、ストレスになることってないと思うのです。
(でも、それに意味や価値を見いだせる場合は苦手なことと向き合い克服していくことはとても意味のあることですね。)

例えば私などはあれこれとアイデアは浮かぶし、こうしたい、ああしたいって思いはたくさんあるのですが、なんせ、事務的作業がものすごく苦手な上にめんどくさがりなんですね。(だから、うちの事務所からよく計算間違いや金庫の出しっ放し等でお叱りを受けるわけです)
だから、Hさんのような方がいてくださると私みたいなタイプの人間はものすごく助かるのです。

Hさんにはきっと自分で考えて判断する以外の長所がいっぱいあるはずで、それを生かすことに意識を向ける方がきっとうまく行くのです。

だから、『自分ができることを一生懸命やろう』でいいんですね。

> 似たような出来事が度々起こるということは、何か意味があるのでしょうか?

というご質問を頂きましたが、この解釈は少なくても二つあると思います。

(1)本当はリーダーを勤める能力があるのだけど、それをHさんが受け取っていないから何度も似たような状況に置かれる。
(2)リーダーは向いていないことを確信するために、Noと言わざるを得ない状況が起きている。

もし、前者であれば、先ほどの話とは逆になってしまいますが、自分で考えて判断を下せる力が本来Hさんにはある、ということですね。
だから、そういうチャンスがやってくる、という解釈です。

後者の場合は、敢えて違う状況を創り出して「No」というレッスンをするようなものです。だから、この場合は「リーダー的なことは苦手なんだからしなくていいじゃん」という確信を持つために訪れます。
だから、今のままで良いんじゃないの?という解釈です。

どちらの解釈が「好き」ですか?(もちろん、(2)だと思いますが!)
その「好き」な方を選び、信じてもらえたら何の問題もないと思います。

決断して選ぶのが苦手なHさんには難しい提案かもしれませんが、「自分がしたい方を選ぶ」「自分が好きな、幸せな方を選ぶ」でいいと思うんです。
周りの期待に応えようとし過ぎるのも疲れますものね。

参考になりましたら幸いです。

毎日使える心理学講座

 ★好評発売中!根本裕幸の近著。
こじれたココロのほぐし方 頑張らなくても愛されて幸せになる方法


あわせて読みたい