自分が正しい、のではなく、起きてることが正しい。



自分が正しいと思うと間違いを認めず、競争し、より苦しい状況を招きます。
起きてることが正しいと受け入れると謙虚になり、頼むこともでき、自然な生き方ができるようになるのです。

これは私自身がよく体験することでもあるのですが、どこかで自分が正しい、自分が間違っていないと思うと、起きている状況が自分の思い通りでないと憤り、不満に感じ、相手を変えようとしてしまいます。

自分は間違っていないのだから、相手が間違っている、という風に論理展開していきます。

カウンセラーとしてそれはとても痛いところなので、自分でも強く意識してるつもりですが、プライベートではよくそれをやっちゃいます。
それで私も喧嘩になったり、誰かとの関係性を壊したりしてきました。


自分が正しいのではなくて、起きてることが正しい、と受け入れられると謙虚になり、素直になります。

例えば、私事ですが、お酒好きで、よく飲まれます(笑)
最近は妻はもちろん、娘にまで「お酒、飲み過ぎないでね」とか言われますし、3歳の息子にすら「パパ、また飲むんでちゅか?」と「お前、意味分かって言うてるのか?」と言いたくなるようなセリフを吐かれます(苦笑)

そこで「俺は正しいだ!」と思っていると、「分かった、分かった」と本意ではない答えをし、「酒を呑まなきゃいけないんだ。そういう状況なんだ。それだけストレス溜め込んでるんだ」と自分で自分に言い訳します。
正当化するわけですね。

さらには「そんな状況にある自分を誰も分かってくれない、理解してくれない」と引きこもったりするわけです。

もちろん、そこには自己嫌悪や罪悪感があります。
もしそこに自己嫌悪がなければ、「そうだね~!うん、飲まないように気を付けるよ~。呑み過ぎだと思ったら言うてね~」と明るく、軽く返せます。
反発する、流す、ということは、自己嫌悪があるって証拠なわけです。

でも、そこで「何で自分はそんなに飲んじゃうのだろう?」と言うところに目を向けます。
実際、3,4日飲まない日が続くことも最近はあって、そうなると「飲まなくても大丈夫じゃない」って気付くからなんですが。

「飲む」ということを「悪い」「いけないこと」ではなく、「正しいこと」だと受け入れて初めて自分に向き合うことができます。
自分の中に意識を向けることができます。

それには勇気が必要ですね。

そうすると、なぜ、お酒が必要なのか?ってことに謙虚に向き合えるようになるのです。

それで「楽しいから、もっと楽しみたいから」「心が広がるから」「美味しいから」などの理由が分かってくるのです。

私も余裕かましてるようで結構心が狭いので、完璧主義だったり、正しさの争いをしたり、競争したり、小さいことでくよくよしたりするわけです。

でも、それって現実(あるいは相手)を否定することにしかならないのですね。

起きてることが正しい、と思っていれば、酒を呑む自分も、お金を使いすぎる自分も、つまらないミスをする自分も許せます。
そんな自分を許して初めて、謙虚に頭を下げられるし、どうしてなんだろう?って振り返ることができるし、自分を変えることができるし、さらには感謝の気持ちまで持つことができます。

知識として持っていること(知っていること)と理解していることと実践することは全部別物ですよね。
だから、「起きてることが正しい」と知り、なぜそうなるかを理解し、でも、それを実践してみて初めて腑に落ちるのです。

しかし、正しさを手放すにはすごく勇気が要ります。
すなわち、自分が間違っている、ということを受け入れるにはすごく勇気が要るのです。

それは「間違いは正さなければいけない」って思い込みがあるからです。
私たちは学校や社会でそういう教育を受けて来ていますから。
だから、間違いは悪いこと、いけないこと、と思ってしまうのです。

でも、誤解を恐れずに言えば、間違いは正さなくてもいいのです。
ただ、そのことに気付くだけでいいのです。

正さなければいけない、と思った時点で正しさの争いに巻き込まれています。

また、間違えるとなぜか自分が「下」のような気がしてしまいます。
やはり点数が高い方が、優秀な方がいい、という思い込みがあるからでしょうか。
だから、自分は「下じゃねえ」って反発を覚えるわけです。
競争心が疼くわけです。これもまた、正しさの争いの一つです。

そこでただ気付くだけで留めておき、その後に「責める」「正す」「言い訳する」などのアクションをストップすることができれば、あとは偉大なる心が処理してくれます。

腑に落ちる、という感覚をもたらしてくれるのです。

そうすると、謝ること、間違いを認めること、謙虚に反省することがスーッとできるようになります。
さらには誰かの助けを請うこと、人に任せることに抵抗を感じなくなり、自然と同じ過ちは繰り返さなくなります。

でも、そのことの最大の恩恵は「心と上手に付き合える」ことだと思うのです。
「呑み過ぎだよ」って心のサインに気付けるようになり(時にそのサインは人を介して伝えらるのですごく分かりにくい!!)、「あ、そうだね」って素直に杯を止めることができます。
あるいは「今日は呑ませて!お願い!もうちょっと肝臓くん、頑張って!」とお願いすることもできます(笑)

それが楽で自然な生き方になるんじゃないかと思うのです。

さて、大義名分も揃ったことですので、今夜もまた“心の声を聴きながら”呑みに出かけ・・・(笑)

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