仕事は善、遊びは悪!?



どこかにそんな観念は隠れていないでしょうか?
昔から日本人は遊びを悪とし、働くことに価値を見出しすぎてるような気がします。
仕事は善、遊びはもっと善。そんな価値観を持ちたいものです。

とあるクライアントさん(男性)のお話。
経営者である彼は何か所かに持っている事業所へ“出張”しています。
それは業務上とても大切な仕事で1泊、もしくは日帰りでかけつけているんですね。
で、出張するたびに現地では「社長が来た」ということで夜は宴会が企画されます。
そして、彼はその土地土地の美味い料理に美酒に酔いしれること多数。
私もかねがね「富山湾はそこにしかない魚が多いと聞くんですが、私の出番はありません?」などとさりげなく、押し付けつつ、大義名分を取り付けようとしますが、そこは社長、「考えておきます」などとつれない返事をしてくれます。

で、そんな彼が言うんです。


「うちの女房ってグルメなんですよね。料理の腕も相当なものだし。そんな女房や子供を置いて出張することに罪悪感を覚えるんです。この料理、あいつにも食わせたかったな、とかね。根本さんの言う補償行為でいつもお土産わんさかと買って帰るんです。」

そこで「○○さんも食道楽だし、呑み助じゃないですか。週末絡めて延泊して、ゆっくり地の物を味わってみたらどうですか?」などと提案する私がいます。

でも、彼は言うんです。

「仕事で出かけるのには全然罪悪感は感じないんです。でも、その先で美味しいものを食べたり、観光したりするのにはすごく罪悪感を感じるんです。根本さんみたいにあちこちで名物を頂いて社員をSNSに載せる勇気はないんですよ」

私の「私も一応、気を使っているんですが・・・」と言う弁解を軽くスルーして彼は続けます。

「妻も『仕事頑張ってるんだから、たまには羽を伸ばしておいで』って言ってくれるんです。でも、やはり、家のことを思ったり、従業員のことを考えるとなかなか好き勝手はできないですよね」

惚気ですか?なんて冗談めかして聴くのですが、まじめな彼は真剣にそのことを思い病んでるんですね。

遊びは悪。
仕事は善。

日本人である私たちはそんな思いを常に抱いてしまってるのかもしれません。
その気持ち、私もよく分かりますもの。

私も仕事での出張は自分に許せても、遊びでの旅行はなかなか許せません。
頭では分かっていても・・・どうしても罪悪感が伴うんですね。

「仕事だからしょうがないだろ」という言葉には寛容になれますが、
「遊びだからしょうがないだろ」という言葉は許されないような気がします。

働くことは善。
遊ぶことは悪。

だから「働くふりをして遊ぶ」とか「仕事の付き合いだからしょうがないと言って遊びに行く」とか、苦しい言い訳が必要になります。

そういう思いがあるから、仕事をしていない人を問題児のように見てしまいますし、遊んでいる人のことを見下してしまうようになります。

それは楽しみや喜びを禁止すること。
せっかくの素晴らしい時間を罪悪感によって打ち消してしまう悲しい出来事。
言い訳が必要になり、強がり、正当性を主張しなければいけなくなる出来事。

本来、働くことは楽しいこと、なんですよね。
「はたらく=傍を楽にする」なんて言いますが、家族や周りの人に与えることなんですよね。
だから、喜びなんですよね。

いつから犠牲になってしまったのでしょう?

「家族のお陰で仕事ができ、出張ができるんですよね。だから、旅先から補償行為のお土産だけじゃなく、とても楽しい思い出、喜びを持って帰ってくることを目標にしてみてはいかがでしょうか?話をすれば家族が笑顔になってくれるような、そんな面白い話題を見付けて帰ろう、と。そうしてあなたが幸せで、楽しんでいて、心から喜んでいたら、それに影響されて家族が喜んでくれます。奥さんだって、子供たちだってあなたがいなくて寂しい思いをしてるかもしれないけれど、同時に自分たちを楽しませることだってできますよね。パパがいなきゃ楽しめないわけじゃないですよね。だとしたら、そこで信頼してあげることだっていいんです。」

働くことも善。
遊ぶことはもっと善。

そう思っていいと思うのです。
かく言う私も実践中なのですが。

その社長さんにはこの文言を日ごろからブツブツ言いながら仕事してもらうことにしました。
そうして潜在意識に働きかけていくのです。

まずは「遊ぶ」ということを許可してみてはいかがでしょうか?

毎日使える心理学講座

 ★好評発売中!根本裕幸の近著。
こじれたココロのほぐし方 頑張らなくても愛されて幸せになる方法


あわせて読みたい