もし、あなたの近くの人が「責任から逃げてる」と感じたら



責任を回避してる人に正当性を主張しても聴く耳は持ちませんよね?
そして、相手を変えようとしてもそれは無理ですよね?
自分が今できることに意識を向け、成長するチャンスなのです。

昨日の「責任は取りたくなるもの」という話の続編です。
きっと読まれた方の中には重たくなったり、しんどくなったりする一方で、「あいつは・・・」と責任逃れをしてる誰かの顔が浮かんだのではないかと思います(笑)

そんな時はどうしたらいいのでしょうか?


部下が自分の職責を果たさずにいつも怠けていたり、職場に責任ある立場の上司が言い訳ばかりして逃げ回っていたり、家庭を支える責任がある夫が家を放っておいて平気な顔をしていたり、父親が子育ての責任を回避したくせに大きな顔していたり。

そうなると、上司として、部下として、妻として、子どもとして、その煽りを喰らってしんどい思いをすることになります。
むかついたり、攻撃したりしてしまうかもしれないし、「気持ちはわかるんだけどズルくない?」と思ったりするかもしれません。
あなたが「いい人」であるならば、一層それは重みとなってしまうでしょう。

ここはちょっと難しいお話になります。すなわち、ちょっと厳しい話。

その人を責めたところで、責任を取るように説得したところで、果たしてその人は変わるのでしょうか?
はたまた、そうしたところで、今の状況が好転することはあり得るのでしょうか?
はたまた、その人に対して、受け身、依存の立場になってはいないでしょうか?
その人のせいにして、ちゃっかり自分の責任を回避しようとしていませんでしょうか?

例えば、責任を果たそうとしない上司の場合、部下である自分はとても苦労します。重要な案件を相談しても回答を渋ったり、向き合おうとしなかったり、場合によってはあなたを否定したり、うやむやにしようとしたり。
それでいて成果が出れば横取りしようとしたりしてなおさらムカつくこともあります。

そこでそんな上司が間違っていると断じることは簡単です。
上司なんだから、責任ある立場だからと相手を責めることも簡単です。
そして、それは多くの場合、正当性を認められるでしょう。

同じように上司として仕事をしない部下に怒りを感じるのはごもっともです。きちんと仕事をするように叱ったり、命じたりことに正当性はあるでしょう。またはそんな職責を果たさない彼を案件から外したり、場合によっては他部署に移動させるよう人事に頼むこともできます。
それは決して間違った行為ではないでしょう。

そう、職場でも夫婦でも家族でも、確かに「あなたは正しい」のです。
しかし、それを主張したところで状況が好転することは残念ながらほとんどありません。

正しいが故に・・・この問題を難しくさせてしまうのです。
正しさは「相手を変えよう」という思いを作ります。間違っているのだから正そう、としてしまうのです。
相手を変えることはできませんよね。変えられるのは自分自身だけです。

だから、正しさは実は問題を解決するものではなく、むしろ、その逆なのです。

家のことを放っておいて遊び歩く夫に「家庭の大黒柱である責任を取る正当性」を説いても彼はきっと聴く耳をもちませんよね。むしろ、余計に逃げて行くでしょう。

だから、ここでは“勇気”が必要です。
自分が感じている、論じている「正しさ」を手放す勇気です。

「相手が責任を果たしていない」と感じたとき、それを自分に置き換えてみてください。
自分は今、何ができるのだろう?
どんな風に変化し、成長できるのだろう?
この問題を解決できる自分ってどんな姿なのだろう?

それはとても自主的、自立的な姿勢であり、相手と対等な立場に立つ意識をもたらします。
相手が責任を果たそうが逃げようが関係なく、あなたは自分自身を保つことができ、さらに自分ができることに意識を向けることができます。

そうして常に「自分ができること」から目をそらさずにいられるので、相手を責めるなどの“回避的行動”に出る必要が無くなるのです。
(お気づきでしょうか?相手を責めることによって、自分が今できることから目を逸らしていることに)
それはあなたをとても解放的な気持ちにさせてくれますし、楽で、安全な感情をもたらしてくれます。

しかし、相手に依存する気持ち、期待する気持ちがあるからこそ、相手が間違っている、と責めたくなるのです。
そこには信頼もなければ、愛もなく、繋がりは「切れてしまっている」状態です。

信頼関係がないところで、どれだけ主張しても相手はあなたの話に耳を傾けないのです。

「今できることを探して、それを見付けて実行しましょう」ということなのです。

部下が仕事をしないから業務が滞っているならば、そこであなたができることっていくらでもあります。
・彼との信頼関係をもう一度結び直すためにできることをする
・自分がその仕事を引き取って完結させる
・チームでミーティングをしてその仕事をどのように進めたらよいかを打ち合わせる
・彼を排除するのではなく、どうしたら彼がやる気になってくれるのかをチームで話し合う、等々

この一つ一つにまたいくつもの具体的やり方がありますね。
信頼関係を結び直すために、挨拶からきちんとする、褒める、価値を見る、話し合う等々。
もちろん、今日明日でできることではありませんから、じっくり時間をかけることが必要です。
そして、今まで取り組んでいなかった分、あなた自身が大いに成長できます。

忙しい日常業務の中でそんな時間は取れないと思われるでしょうか?
そう、だからこそそこで何が重要かを見つめ直すことができるのです。
彼をもしやる気にすることができれば、大きな戦力を得ることができ、同時にチームのまとまりはより強くなるでしょう。
そこに価値を見るならば、やってみてもいいのではないでしょうか。

そんな風に「あなたの周りに責任を果たしていない人がいる」場合。
その人に期待し、依存して、その人が変わるのを待ったり、強制するのは実にナンセンスなことなんですよね。

あなた自身が変化するとき、成長するときなのです。
そうすると「依存」の立場から「自立」することができ、対等な関係性を築く土台ができます。
だからこそ「正しさを手放す勇気」がすごく大事です。
正しさにしがみ付いてしまうと、「なぜ、私が変わらなければならないのだ」と思ってしまうからです。

今、自分にできることは何だろう?と自分自身に置き換えていくのです。
そして、周りに起きている問題をすべて「自分がより成長するチャンス」と捉えて行くんですね。

こうした考え方は心理学では「アカウンタビリティ(責任の概念)」と言います。
心理学講座でも以前紹介したことがありますので良かったら参考になさってください。
/lecture/lec398-1.html

これはとても厳しい話ですよね。
ストレスが溜まっている、疲れているときなどは、むしろ自分が責められているように感じるかもしれません。

しかし、この状況に対して受け身になるのではなく、主体的に向き合うためにはやはりこうした考え方は有効ですし、大きな成長と心の解放をもたらしてくれる方法なのです。

あるコンサルタントの方は常々こんな話をされてます。
「あなたの部下にやる気のない人は必ず必要です。なぜならば、その部下の存在によってあなたが成長し、職場が成熟するチャンスが生まれるからです」

それを聞いたある有名な居酒屋チェーンのオーナーさんは「それ以来、問題児を優先的に採用するようにしている」そうです。その問題児によって自分や周りの人間が著しく成長するから、と。
(先日たまたまテレビを付けましたら、その会社が朝の情報番組で取り上げられて17歳の元不良少年が半年でどう変化したかを紹介していました。)

今、できることは何だろう?
自分にできることは何だろう?
それを諦めずに向き合っていくと、あなたはどんどん成長でき、ますます魅力的な人物になるでしょう。

だから、あなたの周りに責任から逃げてる人がいたらこう思って下さい。
「ラッキー!!また成長できちゃう!ありがとう!!」って。

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