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「頑張ったんだからこれくらいいいだろう」と称していつも言い訳をしている私がいるんですね。思考は一生懸命誘惑してきます。そいつと上手に付き合う方法を試行錯誤中です。
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「考える」ということは、ワクワクすることならば全然OKなのだけど(たとえば、旅の計画だとか、ビジネスプランだとか、また、どうやったらみんなに喜んでもらえるか?だとか)、それが癖になってしまうとどんどんネガティブな方向に進みます。
そもそも「考える」ということは「怖れ・不安」から目を逸らすときによく起こりがちだからです。
かくいう私も考えることは趣味であり、特技の一つです。
気が付けば思考をしていて、あれやこれやと捉われてしまうことも多いんです。
先日、ふと気づいたことがあるんですね。
思考を駆使して言い訳してんなあ、ってことに。
「これだけ頑張ったんだから、もうちょっと呑んだっていいよね」
「今日は打ち上げだから、食べちゃってもいいや」
「いつも仕事してるんだから、これくらいの贅沢は許されるよね」
「ストレス溜まってるんだから、たまにはパーッと散財するのもOK!」
それが本音の場合、すっきりして気分がいいです。
この間、ぽっかり空いた時間をどう過ごそうか考えて、温泉に行こうと思って行って、そこでぼけーっと濃いめの食塩泉に浸かっていたんです。
とてもスッキリしました。
頭(思考)と心がつながってたんだと思います。
しかし、東京出張の帰り、これくらいいいだろうとあれこれ考えて品川の駅で食べ物を大量買いして車中で1人宴会してました。
で、とても後悔しました。また食べ過ぎた、無駄なことにお金をかけちゃった、と自分を責めていたのです。
心はそれを求めてなかったんですね。
別の日、仕事帰りに一杯飲んで帰りました。
同じく言い訳をちゃんと準備して。疲れてるんだし、少しだし、いいか、と思って。
でも、その時は心は納得してないことに気付いたので「ココロよ、今日はすまぬ。わしのわがままを聞いてくれ」と思ってました。
そしたら、意外とすっきりして、後悔もありませんでした。
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いつも言い訳してるなあ、とつくづく思ったのです。
そもそも言い訳をしてる時点で本音ではないんですよね。
その時の欲求を満たすための口実でしかないのです。
思考ってのはなかなか巧みです。
ちゃんとその場を凌ぐ言い訳を出してくれるのです。
でも、その場しのぎなんです。
だから、後悔することになります。
そもそもその思考を回転させてるのが「ストレス」であり「欲求」なんですね。
人によってはそれを「甘え」と称する場合もあるでしょう。
でも、ストレスも欲求も、否定するものでもなく、また、無くなるものでもなく、上手にお付き合いをしてあげるものです。
時には聞いてあげるもよし、時には説得することもあり、時には流されることもあり、時には封じ込める(抑圧する)ときもあり。
うまく行ったときは褒める。
失敗したときは許してあげる。
そんなことを気長にやっていくと、言い訳をしてる自分がかわいくなってきます。
一生懸命言い訳しているのが、子どもの言葉のように思えてきます。
ただそのセリフが「呑みたい」という点で未成年じゃないんですけどね(笑)
そういう時はうまく付き合って行けます。
そして、心の声を上手に拾うことができるようになります。
心はどうしたらその欲を満たせるか、そのストレスを解消できるかを知っているからです。
やはり心に聞く、ということなんです。
心の声を聞ける自分でいる、ということなんです。
すなわち、心を信頼する、ということなのです。
ま、欲望に塗れてる時はそんなことすら忘れてしまうのですが。それはまだ自分が未成熟であることの証、成長の余地があることの証。
そう前向きに捉えたいですね。
ということで、まだまだ試行錯誤中、すなわち発展中なのでした。