愛してほしいんだけど、愛してほしくない裏腹なココロ。



私たちは自己嫌悪ブロックが素直な本心を隠してしまうメンドクサイ存在(笑)
でも、それを知っておくだけでも、十分人とうまくできるんです。
すなわち、「あ、今、冷たい態度取ってるけど、これってこの人の本心なのかな?」と思ってみるだけでいいんです。


「愛してほしい」
「分かってほしい」
「認めてほしい」
「助けてほしい」

そんなニーズ(欲求)を私たちはみんな持っているわけですが、素直にその欲求を出せるか?と聞かれたら、なかなか素直にYesとは言えない人が多いんじゃないでしょうか。

でも、それを責める必要、否定する必要なんて本当はなくて、そうなってしまう事情があったんだろうなあ、と解釈するのが大切です。

子ども時代には純粋に「愛」だけだったものが、うまく愛せなかったり(与えられなかったり)、拒否・拒絶されたり(それで価値がないと誤解したり)して、疑いが生まれたり、そうした傷ができて素直な思いを表現できなくなってしまったのです。

自己嫌悪ブロック

それを仮に自己嫌悪ブロックと呼ぶとすると、そのブロックによって、逆に本心が捻じ曲げられて態度に現れる、という現象が起こってしまうのです。

すなわち、愛してほしい人ほど、愛なんていらないって態度を取り、「私のこと、分かって欲しい、と思う分だけ、分かろうとする人に疑いを抱き、「助けた欲しいと思っている人ほど、いざ、助けを求めようとすると、つい『大丈夫、大丈夫』て言ってしまうのです。

そう思うと、なんてメンドクサイ・・・なんて素直じゃない・・・なんてもったいない・・・等々の思いを抱くと思うのですが・・・。

でも、大人なんてみんなそんなものですから(笑)

みんな傷ついて生きて来てるわけです。
親が離婚している、暴力があった、親の愛を感じられなかった、というケースはもちろん、「私の家はふつう」「親からふつうに愛された」と思っている方にも、傷がないなんてことはありません。

傷があって当たり前で、自己嫌悪ブロックも当然のように存在しているものです。
そして、傷の深さ、大きさの分だけ、そのブロックも大きくなるものです。

そういう自己嫌悪ブロックの存在も含めて、自分の心をきちんと見つめようとすることで十分なのです。

「本音って何だろうな?」って思いで自分の心を見つめ、相手の心を見つめます。

相手は強く拒否をしているけれど、それが本当の気持ちなのかな?と一旦、引いて考えてみる・・・

彼は全然素直じゃないし、愛情なんて示さないけれど、それって本音なのかな?と彼の心をよく考えてあげる・・・

本当は寂しいだけなんだよな・・・でも、それが言えないんだよな、つい、大丈夫ってふりしてしまうんだよな・・・というストーリーが見えたら、それを嫌悪するのではなく、ただ、そう思っておくに留めてみる・・・

つまり、表面的な思い、態度がすべてではなく、見えないところに答えが埋まってる、と知っておくことだけで十分、ということなのです。

その瞬間瞬間は表面的態度に振り回されても、後から、「あれ、違うわ。本音はこっちだわ」と気付けたらいいのです。
(自分のことでも、他人のことでも)

癒しってこのブロックを少しずつ小さくしていくことを言います。
だんだん本音と態度が一致するように、感じていることを素直に表現できるようになっていきます。

その一つの方法は、その態度の元になっている感情、たとえば、罪悪感ならば、それが生まれた歴史を紐解いて、痛みを解放していく(罪悪感なら、自分を許していく)プロセスを経ます。

そうするしかなかった・・・
他の選択肢はあり得なかった・・・
その時の自分にとってはベストな選択だった・・・

そう思えたら、このブロックはスーッと軽くなっていくでしょう。

でも、こう、本心が素直に表せない、天邪鬼なところって可愛いと思うことないですか?
それってきっと本心が見えたからだと思うんですよね。

自分に対しても、相手に対しても、本音・本心が透けて見えるようになったら、「許せる」ものなのです。
(可愛いと思うのは「許し」の一つの証拠ですから)

さて、今日のあなたの、そして、あなたの近くにいる人の本心って何でしょう?
そこに意識を置きつつ、1日を初めて見ませんか。

毎日使える心理学講座


あわせて読みたい