「私は十分苦しみました。」


罪悪感(自分が許せない、自分は罰を受けるべきだ、等)に捉われている時、意識レベルではどうしたって自分を責める言葉しか浮かびません。

「職場に多大なる損害を与えたことは事実です。だから、どう慰められたとしてもその罪は消えないのです。」

「彼女を傷つけたことに間違いはないですよね?私がしたことで、彼女の人生を狂わせてしまったのです。私は幸せになるべきではないのです。」

「たとえ、良かれと思ってやったことでも、家族にとってはそれは愛情ではなかったとしたら、やはり私は酷い罪を犯したことになるのです。」

「私を信頼してくれていた後輩を裏切ってしまったのです。もしかしたら彼は絶望のどん底にいるのかもしれません。」


これは「本人が気付いている罪悪感」です。
(本人が気付いていない罪悪感はそれはそれでややこしいので別の機会に譲ります。)

それゆえ、十分長いこと自分を責めることになります。

そして、どうにもこうにも苦しいのです。
自分のせいで誰かが辛い思いをしている、ということも辛いですが、そう思って自分を責めるのもとても苦しいのです。

その苦しみは時間が経ってもなくなることはなく、人生に大きな影響を及ぼしていることも多いんです。

私たちのカウンセリングでは「許し」をテーマにしています。
仮に彼女を傷つけてしまったとしてもそうせざるを得ない事情があったのではないか?と理解をし、してしまったことは取り返しがつかないけれど、そんな自分を許してあげてもいいのではないか?という意識でお話を進めて行きます。

だから、状況をよく伺いつつ、こういう話をさせて頂くんです。

「もうあなたは十分苦しみましたよね。」

時に、アファメーションとして、この言葉を声に出して言っていただくこともあります。

「私はもう十分苦しみました。」

しかし、罪悪感という感情にとって、この言葉には非常に抵抗が出てくる言葉です。

しかし、あなたが幸せを望むのであれば、この苦しみから抜け出したいと思うのであれば、この言葉を自分にかけてあげて頂きたいのです。

犯罪を裁くのは法律かもしれませんが、自分を裁くのは自分自身です。
どれだけ無罪放免を言い渡されても、自分が自分を許してなければ自分は罪人なのです。

『自分を許す』これが人生最大のテーマと言われることもあります。

「私はもう十分に苦しんだ。解放されてもいい。」

そう思うことで心が少しでも軽くなるとしたら、ぜひ、この言葉を自分に投げかけてあげてください。

あなたが救われることにより、楽になれる人がきっといるでしょう。
その人のためにも、自分を許すことは恩恵となることを知ってください。

では、もう一度。もし大丈夫な場所だったら、声に出して言ってみてください。

「私はもう、十分、苦しみました。」

心に安らぎが訪れますように。

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罪悪感のことを正面からガツンと扱った本って日本にはあまりありません。
(ためしにアマゾンで検索してみましたがやっぱり出て来ません。めちゃくちゃ高い本が数冊あるのはプレミアが付いたから?売れないかも知れませんが、勇気ある出版社さんの依頼をお待ちしております!)

しかし、カウンセリングをしていると、この感情はとても避けては通れないことも多く、故に、心理学講座では何度も扱うことになっています。
こちらも参考になさってください。

さて、罪悪感をテーマにすると、様々な理論的な疑問が湧いて出て来るものです。
じゃあ、あの事件は?あの犯罪者は許されていいのか?という議論になってきたり、そこまででなくとも「彼女がまだ苦しんでいるのに、自分だけ楽になっていいのか?」と思ったり。

実はそういう思いも罪悪感がもたらす思いであり、罠と言えます。

「彼女が幸せになるまで自分は幸せになるべきではない」という思いが、本当に彼女のことを思った言葉なのかどうか?は議論の余地があるのです。
すなわち、そう思うことで自己弁護しているケースや、自分に意識を向けていて彼女の幸せを願っているわけではない、と思われるケースもたくさんあるのです。

罪悪感を癒すプロセスにおいて、まずは「自分がしたことを謙虚に受け入れる」ということから始めて行きます。
そして、その後、「罪を許す」「その当時の自分を許す」というプロセスに入って行きます。

今日紹介したお話は、その「自分を許す」というプロセスの一部です。

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