内面的な変化が表面に出て来るのって少し時間がかかることが多い上に、なかなか気づきにくいものです。
よく「髪だって毎日伸びてるけれど気付かないでしょう?それがある日『なんか伸びたなあ、そろそろ切りたいなあ』という風になるでしょう?」と例えるのですが、内面的な変化もそんな風に起こるものです。
そして、さらにその内面的な変化が外面的な変化を引き起こすにもまた時間がかかります。
例えば、人が苦手、怖いと言って自分を見つめ直し始めた方にとっては、以前ほど人が怖くない、大丈夫、となるまでの変化(内面的変化)と、実際人と対等に話せる状態(外面的変化)には少々タイムラグが生じます。
だから、気長にやり続ける必要がありますし、気長にやるためには、その目標設定は「人が苦手なのを直す」というネガティブなものではなく「人ともっと気軽に話せる」とポジティブなものの方がいいでしょう。
さて、その成長に関しては少しずつ、徐々に起きていきます。
カウンセラーのことも初めは怖かったけど、ある程度話せるようになった。
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比較的何でも話ができるようになった。
これはちょっとした変化と思うかもしれませんが、「ある程度」と「何でも」ではおそらく実感は全然違うと思います。
しかし、「何でも」となったときにその変化に気付けるか?そして、その変化に価値を置けるのか?というのがとても重要なポイントだと思っています。
少しずつ変化してるとしたら、「何でも」話せるようになったとしても、それが以前から変わっていないように思えます。
そして、そんな変化に気付いたとしても「慣れたから」「カウンセラー相手だし」と受け取れないこともあります。
さらに「カウンセラーに対して大丈夫でも、職場では何も変わってないし」と半ば必死にあら捜しをしたくなることもあります。
変化に気付けなかったり、気付いても価値を見いだせなければ、「変化していない」と同じことなんですね。
これは勿体ない!
ちょっとした変化でいいんですね。
その変化を「素晴らしい!」と思えたら、それは自信になります。
でも、何とか良くしようって何かしらチャレンジされてる方って、自分が思う以上に変化してるものだと思うんですよね。
だから、逆にこういう表現をすることも多いですね。
「変化してる、と思ってみてください。」
そうすることで見つかるものも多いですよ。
そして、小さいもので喜びを感じられる=感度が高い、ですから、幸せを感じやすい体質になってるとも言えるんです。
それって素敵でしょう?
まずは1か月前、3か月前、半年前、1年前の自分を思い出しながら、どんな変化・成長があったのか、を探してみてはいかがでしょうか?