完璧なる休日。



私の休日は主に週の頭である。
多くのビジネスマン、OL達がブルーな気分で出社する頃、私は土曜日の如く開放感に満たされているのである。

さて、そんなある月曜日。娘を送り出し、朝のお散歩も若干短めに引き上げた後、愛車に乗って奈良へと向かった。
私は自家用車を保有してわずか3年と半年ではあるが、そもそもが運送会社の長男という出自により、車に乗っているとひたすら安息感を感じるという特徴を有している。
それを一言で纏めると「趣味はドライブです」となる。

よって、悪名高き朝の阪神高速環状線も、案外楽しみつつ、車線変更を遣り繰りしてみるのである。とはいえ、4車線の高速道路で、両側からトレーラーに寄られるとさすがにヒヤッとするのであるが。


さて、今回の目的は環状線から松原ジャンクションを西名阪に抜けた先にある、天理市は石上神宮である。

石上神宮以前から訪ねたかった神社で、今回、ある方の助言を頂いて妻と足を踏み入れる機会を得た。そもそも物部氏の総氏神という凄い神社で、国宝級の神剣が多数収められていることでも知られる神社である。
何でも奈良時代以前に「神宮」という名を許されたのは、ここと伊勢神宮だけと言われる程の格式と歴史を持つ社は、しかし、想像以上に、優しい空気に満たされているように思えた。
剣であるが故に、男性性が強い場だと思いきや、確かに、背筋をピンと伸ばさせる空気を持つものの、むしろ、翁の如き叡智としなやかさを併せ持つ空間のように思えた。
ま、そんな難しい解釈は抜きにして、非常に気持ちのよい場所である。
感受性が際立っている妻は、「危うく、涙が流れるところだった」とのたまっていた。

その場にいると何ともないが、その場を離れると、ものすごく通っていて、ふわっとした気分に襲われる。頭はからっぽになってたいへん気持ちが良くなっていた。

私はそもそもあんまり“感じる”タイプではないので、よくこういうことが起こり、その場にいるときよりも、その場を離れた後で効果を実感するタイプなのである。

一徳さて、腹も空いて来て、同じ天理市内にあるラーメン屋に向かうこととした。天理ラーメンと言えば、こってりが定番だと思われるが、我々が頂いた塩ラーメンは、透き通って、ほんとうにあっさりした、美味なるラーメンであった。
東京都目黒区に所在があれば、11時半の時点で既に1時間分の行列が出来ていそうな味であった。
いつまでも食べていたかったのであるが、一杯で十分腹が膨らみ、余韻を惜しみつつ店を出た。

この周辺は天理教の総本山で、あちこちに様々な施設が軒を連ねている。実は、私の母方の祖父母が天理教の教会長で、幼い頃に色々と話を聞かされてきたので、そういう意味でも大変感慨深い場所である。
それにしても、街全体が天理教を中心に成り立っている図というのは、何だか凄いと思ってしまう。
しかし、それでいて旨い店があちこちにあるのはすごいことだと思う。今日は臨休であったが、次回はイタリアンの店にも行って見たい。

NANATSUMORIこのまま帰るのはもったいないと、ネットを駆使して調べ、お茶をしに上牧町まで足を伸ばした。
かわいいお姉さん達が切り盛りする、感じのいいカフェで、改めて、自らのカフェ好きを実感することとなった。
食事は済ませているのでコーヒーと、甘いものをそれぞれ頂いた。ヌガーは絶品だし、ワッフルはカリカリでものすごく美味かった。
店内の雰囲気は、センスの良いアイテムに囲まれて気持ちがよく、我が家の徒歩圏内に是非必要な店である。

次回は是非、自然食のランチを頂きたいと思った。
お互いの反応によれば、きっとその機会はあろうかと思う。

さらに、この信楽焼というコーヒーカップも素敵だった。

私は気に入った器があれば、すぐに店の人にその由来を尋ねるのであるが、その際、信楽焼という単語をよく耳にするのである。
関西の釜だから当然なのかもしれないが、一度、じっくり検討してみたいところである。

さて、その後、再び、高速を飛ばし、1時間もかからないうちに自宅に帰ってきた。
大阪の北部から見れば奈良は遠いように感じるのだが、そもそも、大阪自体が狭く、小さいので、あっという間に着いてしまう。
だから、今日はどこに行っていたんだろう?と、ふと、疑問に駆られる瞬間があるほどである。

小旅行のようで、すぐそこに出かけてきたような気分で、小学校から帰ってきた娘を迎えた。
大量の宿題をこなす娘の傍らで、パパは昼寝を敢行し、大変、気分よく目が覚めた。
やはり休日には昼寝を少しでも挟みたい。

完璧な休日である。
理想の休日、のイメージにたまさか合致する一日である。

1年でも、こんな日はそうは多くない。
だからこそ、深く感謝しつつ、石上神宮で買ってきたお札を、我が家の神棚に納めた。

なんだか、いいことがたくさん起きそうだ。


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