「それは“愛”でしょうか?」



*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*

愛から出た言動は、どんな内容であれ、いずれは相手に伝わるもの。
「めちゃくちゃな親父で昔は憎んでたこともあったけど、今振り返れば、親父なりの愛情表現で、愛されてたんだなあ、と思う」みたいに。

でも、愛ではない行為・・・自分の欲求(自我)に基づくもの、策略や計算によるもの、我慢や犠牲からくるもの、妥協や諦めによるものの場合、自分にはもちろん、相手にもいいものは残りません。
心はどんどん疲弊していきます。

疲れてしまったなあ・・・と思ったら、あなたは誰かを愛し忘れているのかもしれません。
今すぐに、誰かに愛を贈ってみましょう。

これを頭で考えてしまっては難しいんです。
何が愛なのか?と哲学したり、自分には何もできないと無価値感や無力感にはまったり、でも、それもまた愛さないための言い訳、罠になってしまうんです。

「私は“愛”を知っている」と思ってみてください。

じーんと心が温かくなること、自然とにこっとしてしまうこと、良かったな・・・と思えること、喜ぶ顔が見たいと思ったこと。

それは“愛”ですよね。

でも、自己愛というのもあります。
それを自分自身に送ってあげてもいいのです。

不安や怖れが渦巻いているときだからこそ、愛を振りまいていたいですね。

正解はありませんから、自分なりの愛を、誰かに、与えてみませんか?

心の処方箋

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