禁煙の心理学(4)~不安と向き合う~



禁煙するときには様々な心理的な不安が出てきます。

私の場合は「タバコがないとお酒が飲めない」とか「人と話をするときに間が持たない」とか「セミナーの休憩時間が過ごせない」とか、様々な理由がでてきました。
でも、そうした不安を見ていくと、私にとってタバコとは、対人関係を築くコミュニケーションツールの一つとして存在していることが分かってきたんですね。

昔勤めていた会社でも、セミナーでも休憩時間には喫煙コーナーに行って交友を深めてました。タバコを吸う者同士の連帯感ってありますよね?
特に禁煙が盛んに叫ばれるようになった現代では、“同志”という意識で結びつき易くなるようです。


それと同時に、タバコをくわえていること、煙をくねらすことが会話のリズムを整えていたことになります。
だから、タバコがないと間が持たないように感じたり、何をしゃべったらいいのか分からなくなるんじゃないかと不安になってたんですね。

だから、もしタバコを辞めたら・・・と思った時に、とても楽しみを奪われるようにも感じていたわけです。
喫煙コーナーでいつも下らない話をしていた仲間ともおさらばしなければ・・・みたいな変な感覚に捉われた事もあります。だって、タバコを辞めることは彼らを裏切った事になるような気がしましたし、平然と彼らに近付いたら禁煙の意志が潰えてしまいそうにも感じたからです。
いわば、友達を無くす、みたいな感じですね。

そして、もう一つ、タバコを吸うことでリラックスできていたし、自分だけの時間、間を作れていたのにそれが無くなってしまうのは重大な不安事項でありました。
喫茶店に行って一服付けて、というのはとてもいいリラックスタイムでした。なんともいえない安堵感やすっきりした気分になれたので、思い切り息を吐き出せる“愛煙家歓迎”の店によく行っていました。
そうすると必然的にお酒が飲めるバーなどはとてもいい場所で、出張先では特に足繁く出かけてましたね。

また、こうして文章を書く際にもタバコは一定のリズムを作ってくれていました。
よくアイデアをひねり出すときにタバコが必要・・・という意見がありましたけれど、私がまさしくそれで、タバコを吸いながら仕事をするのが癖になってましたから、タバコを辞めることで文章が書けなくなるんじゃないか?アイデアが浮かばなくなるんじゃないか?ということはとっても大きな不安でした。

●タバコを辞めて、その不安はどうなったのか?

で、結果的にタバコを辞めてどうなったかというと、まず喫煙ルームでの友達関係は始めは変わりましたけれど、やがては普通に戻りました。
よくよく思えば、タバコを吸うから友達、吸わないから話さない、というのはあり得ないわけで、禁煙当初こそ、リバウンドしないように意識的に喫煙スペースには足を向けませんでしたけれど、そうでない場面では普通に話をしてたりしました。
だた、やはりタバコを吸う者同士の連帯感からは外れてしまった訳で、ちょっと寂しくはありますね。

一番懸念材料だったセミナーの休憩時間、打ち上げの席での振舞いについては、ほんと慣れるのに時間がかかりました。居場所がないというか、定位置を奪われてしまったというか・・・。
とはいえ、その一方で煙に惑わされなくてもいい安堵感もありました。
タバコを辞めてからはより一層匂いが気になるようになりましたから。

長いこと、タバコに依存しながらコミュニケーションを取っていた事を改めて思い知らされましたね。

でも、やっぱり人が好きというか、人と話さなければ生きていけないというか、タバコがなくなれば無くなったで、それなりの人間関係構築術を学ぶようになるんですね。
そして、私がタバコを吸ってたことを知らない人と知り合っていくのも途中からは面白くなっていきます。「そっか、この人は僕がタバコ吸ってたこと知らないんだな」と。

それから喫茶店やバーに行く回数はかなり減りました。タバコを吸うために足を向けていたんだな、ということが良く分かるくらい。
でも、一方で、味にはとてもうるさくなりました(笑)
喫茶店でも飲みに行くのでも、質には異様にこだわるようになりましたね。
珈琲もかなりマニアックにウマイ、マズイを意識するようになりましたし、お酒に至ってはかなり質を求めるようになっていました。
でも、私のお勧めカフェシリーズを見ていただければ分かるように、相変わらず喫茶店(カフェ)は大好きな場所ですし、お酒を飲むのもこれまた大好きなので、禁煙して2年経てば回数こそ減ったものの、実情はほとんど変わっていないということでしょうか。
逆に言えば、タバコを辞めても、喫茶店にもバーにも今までどおり行けるようになる、ということです。ただし、本当に珈琲なりお酒なりを求めているのであれば、ね。もし、タバコを吸う場所として喫茶店を認知してるとすれば、禁煙したら、その珈琲代はまるまる浮く事になるでしょう。

また、タバコを吸うことで得られていたリラックス感なのですけれど、禁煙してしばらくの間は常に変な緊張感が心を支配していました。
後にも出てきますが、頭はボーっとして、心はちょっと緊張している、そんな不自然な状態が1,2ヶ月は続いていました。
いわば、タバコからの離脱症状のようなものだと思うんですけど、リラックスからは程遠い状態だったことは確かです。

でも、その一方で「自分はノンスモーカー」ということで得られる安堵感もいっぱいあったんですね。
人と話すときに口臭を意識しなくなりました。
娘を抱っこするときに遠慮がなくなりました。
店でも禁煙席に座ることで一つの達成感がありました。
タバコを吸う場所を探さなくても済むようになりました。意外にこの効能は大きかったですね。食事するにも飲むにも何かをするのに場所を選ばなくてもいい、というのは、とても心理的に大きな影響を与えてくれました。

さて、実はタバコを辞める前に不安に感じていた事で、思っていたよりもしんどかったのが、文章やアイデアをひねり出すことでした。
タバコを辞めて1,2ヶ月の間、頭のどこかが常にボーっとしているようで、気持ちが入らないというか、ギアが入らない状態になってしまったんです。
今でもその時の焦りや不安を覚えているくらい大変でした。

ほんとガーッと行くものがなくなって、文章にしても浮かばない、集中できない、書けない、と書き物の締め切りが近付くに連れて焦る日々でした。

僕がバイブルとしてた「禁煙セラピー」に、“タバコを吸うのは頭を壁に打ち付けるようなもの”という記述がありました。
どうも私は頭を壁や机に打ちつけながら文章やアイデアをひねり出していたようです。
言われてみればなるほどで、考える時にはタバコが常に傍にあって、アイデアが浮かばない時にはいつも以上にチェーンスモーカーになっていました。

そして、禁煙した後はニコチンが頭を巡らなくなったためか、あるいは精神的なものかは分かりませんが、ほんとしばらくの間は頭がボーっとして何に対しても身が入りにくかったですね。
今から思えば好転反応なんだろうと思いますが、でも、当時はそのボーっとしていることを自堕落なことと捉えて、また吸い出す理由にしたがっていました。
心は弱いもので、何かうまくないことが起こると、すぐに禁煙をその理由にして、タバコを吸い始めたがるんですよね。
この辺はほんと職業柄(?)とても巧みで、言い訳がたくさん出てきました。

ほんとこの1,2ヶ月、いや、ほんとうはもうちょっと長くて半年くらいは、なかなか以前のようには文章が書けなくて本当に苦労しました。
それはちょうど今までは手書き原稿だった作家がワープロを使い始めたら同じようなことを感じるかもしれません。

でも、今もこうして文章を書けてるわけで、どこかでそのしんどさからは抜け出せたんです。じゃあ、どこで?と言われると、徐々に、気が付けば、としか言いようが無いんですが、やはり書きたい、書かなくては、という意識が徐々にタバコなしでもアイデアを浮かばせる脳構造を作ってくれたようです。

ただ、「タバコが無ければ文章が書けない」というのも思い込みや癖にあたるものなので、しばらくタバコがない状態で悪戦苦闘すれば自然と改善していくものなんですよね。
やはりタバコは一種の補助ツールであって、決してペンではない、というところがポイントかもしれません。

でも、やはりそうしたタバコを辞めることの代償を払ってまでも辞めたい理由があったことが、禁煙への成功の道だったかもしれません。

皆さんなりにもリスクは少なからずあろうかと思うんですね。
でも、そのリスクは多くの場合何とかなります。
正しくは、自分自身が何とかします。それはもっと自分自身を信じてあげて良いことだと思うのです。

問題は、そのリスクを負うだけの理由があるかどうか、それだけのニンジンがぶら下がっているかどうか、が一番のポイントなんだろうと思います・・・。


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