安易に境界線を越えてしまう人々(1/2)



教えたがり、過干渉、人と人との境界線をあっさり越えられるとすごく気分悪いですよね。
そんなとき、つい我慢してしまうことってありませんか?
どうしたらいいのか?を考えていくと、あなたの生き方にまで視線が広がります。

人間関係でうまく行かないってご相談を頂いていると、よく「ああ、こういうことだな」という体験を私もすることがあります。
必要以上に入り込んでくるな、という人々。
相手との境界線をあっさり超えてしまうんだな、という人々。
ほぼ初対面の私が感じるのだから、きっと周りの人はもっとそれを強く感じているんだろうな、と思うわけです。

典型的な例を先日聞きました。
「最近ゴルフ始めたんですよ。周りから勧められたり、親からゴルフクラブのセットをプレゼントされたこともあって。打ちっぱなしに行くんですが、なんで、ああ、オヤジ達はアドバイスしたがるんですかね?さっきまでレッスンプロに付いて教えてもらっていて、そのあと残って練習してたんですけど、そのフォームは良くない、とか、こうしたらいい、とか。」

今もそういうことってあるんですね・・・。

このオヤジ達がしてることが「安易に境界線を越えてしまってる」ということ。
彼女は「教えてもらうことを求めていない」のに、彼らは「教えようとしてしまう」のです。

要するに、八百屋に行って野菜を選んでいる時に、『お姉ちゃん、今日は牛肉安いよ』って一パック698円の特売ステーキ肉をカゴに入れられるようなものです。

これは確実に人間関係が破たんしますよね。

恋愛がうまく行かないって男子と一緒に打ち上げで呑んでたらものの5分でその理由が分かった時がありました。
隣にいる女子に彼は一生懸命「説明」しようとするんですね。しかも、論理的に。
しかし、彼女はそんな理論は必要なく、単に仕事上の話をして「共感」を求めてるだけなのです。

ある人はすぐに人の話に入り込んできて、しかも、上から目線でモノを言うんですよね。
「ああ、あなたはまだ苦労が足りないから分からないのよ」
「きっとあの人は私のことを意識してるのよ。やっぱり私、目立っちゃうから」
ついつい、相手が望まない領域に入り込んでしまい、ギクシャクしてしまうのです。

でも、そういう境界線を越えてしまう人たちはそのことに気付いていません。
悪意ではなく善意、しかも、自分がそういうことをしてるって知らないので、タチが悪いんですよね。

ゴルフのレッスンで、彼女が「あ、いいです。大丈夫です」とやんわり拒否すると「いいよ、いいよ。遠慮するな。」とさらに入り込んでくるわけですし、上から目線の女性は人が去って行くことを「私に嫉妬してるのよ。コンプレックス感じてるからなのよ。」と相手のせいにしたりします。

恋愛がうまく行かなかったり、人間関係がうまく行かなくなることが多いはずなのに、その原因に目を向けなかったり、相手のせいにしたりしてしまうので、一向に改善せず、どんどん孤独化、孤立化が深まってしまうんですね。
さて、昨日の記事に続き、今日も皆さん「あるある~。私の周りにそんな人いる~」って方がパッと100人くらい脳裏に浮かぶことでしょう。

あるいは、「え・・・もしかして私のこと??」ってドキッとされた方もいらっしゃるでしょう。

そんな境界線を安易に超えてしまう人の心理って何かというと「麻痺」なんです。
相手が何を求めているのか、何を感じているのかが分からないのです。

だから、八百屋に来てる人にお肉売っちゃったり、共感求めてる人に論理的な解決方法を提示しちゃったり、つながりを求める場で自己主張しちゃったりするわけです。

その「麻痺」に気付いていないし、やってることは悪気が無いどころかいいことだと思っているので、周りの人からすればいい迷惑なんですよね。

でも、あなたがそういう人と付き合ってあげてる人ならば、あなたはとても優しくて忍耐強い人なんです。それは長所ですよ。覚えておいてくださいね。

で、カウンセリングってのは「麻痺」では終わりません。
なぜ、麻痺が生まれたのか?って考えていくんです。
そうならざるを得ない状況にその人はいたんだ、と見てあげるわけですね。

例えば、周りから(特に親から)過干渉にされてきた方はそれが嫌だったんだけど、人間関係の基準になっていることがあります。
1人っ子で幼少期から友達づきあいが苦手だったりして、人との距離感が測れず麻痺してる人もいます。
「教える」ということが唯一のコミュニケーション手段になっている人もいます。そこでしか役に立てない、と思い込んでるんですよね。それも麻痺の一種ですね。
自己顕示欲が強い人もいます。私を見て!見て!ですね。それくらい自分なんてちっぽけで不必要な存在だと思い込んでいらっしゃるんです。周りの人たちが感じてることに対して麻痺が生じています。
自信家という自信のない人も良く境界線を越えてきます。自信がないから強く主張しないと自分の意見なんて受け止めてもらえないと思うからです。これは強いココロの麻痺が起きていますね。
ちなみにこの文章を読んできて、「あ、これ、私のことだ」と思った人はまだ全然大丈夫ですよ。それに自覚がありますから。
例えば、自信家の人は自分に自信がないから自慢話をしてしまう、ということに気付いていません。「俺って自信がないから、つい自己主張しちゃうんだ」と自覚がある人は全然救いがあるんです。

さて、そんな人が周りにいたらどうしましょう?
しかも、家族や上司・同僚・部下など簡単に縁の切れない人ならば困りますよね。

一番お願いしたいことは「いい人を辞める」ということです。
すなわち、はっきりと「No」って言うことです。相手に聞こえるように。

こんな風に言ったら嫌われちゃう、とか、関係性が悪くなる、というのがいい人であり、気遣いな人の証拠です。

でも、なかなかやめにくいですよね・・・
分かってるんだけど・・・
しかも、そんなことをしたらこれから先ギクシャクしてやりにくいのでは?と思うでしょう?

だとしたら次の選択肢を吟味してみてください。

1.これからもその人とうまくやるために、境界線を越えられても我慢したり、やんわり交わしたりすることが私らしいと思う。

2.その人と仮に関係が切れてしまったとしても、我慢したり、犠牲したりする人生は嫌だ。

その人の態度は嫌なんだけど、そういう生き方が私の生き方なんだ、と思えば、実際、その人の態度は今よりも苦ではなくなるんです。。
例えば、こんな女性がいました。明らかに干渉してくるタイプのおばちゃんと知り合ったそうです。
「私、そういう人だめなんですよね。だから、そういうことやめてくださいって何度か言ったんですけど聞いてくれなくて。だから、あなたとは今後お付き合いできません。ってはっきり伝えてメールも電話も拒否したんです。」

同じようなタイプの人と知り合って別の女性はこんなことおっしゃってました。
「私ってついいい人やってしまうやんか。あかんって思っても、ついつい相手の話聞いちゃうし、頼られちゃうし。めんどくさいなあ、と思っても、それが私の性分やしなあ、と思って付き合ってあげるねん。」

さて、どっちが正解でしょう?
どっちも正解なんですね(笑)

どっちが自分らしいか?を考えてみてください。
もちろん、答えは2つに限りません。
あなたオリジナルの答えが必要です。

「考える」って良くないことみたいな話を私もしてしまうんですが、考えることが必要な場合もあると思うんです。
自分らしさって何だろう?
自分らしい生き方って何だろう?って。

そうして、自分らしい態度が見えて来たら、境界線を越えられても傷つかずに済むのです。
相手ではなく、やはり自分、なんですね。

では、明日は続きを。
自分が境界線を越えてしまうタイプだとしたら???というお話をさせてもらいたいと思います。

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