そないうまくいくときばかりではない、という大事な原則。



そもそも「うまく行く」てなんやねん?という議論もありますが(うまく行く=思い通りになる)、それはさておいて、色々とワークしたり、心の在り方を変えたり、あれこれとチャレンジしたところで、うまく行くときばかりではありません。

完璧主義っていうのは、「せっかくセミナーに出たんだから」「あの予約の取れないことで有名な某カウンセラーN氏のカウンセリングを受けたんだから」という“名目”のこと、自分を追い込んでしまうことがあるわけです。
そこでN氏が有名であることと実力が伴っていることについての議論は再びさておきます(笑)

例えば、アファメーションの宿題を良く出します。
毎日やってねえ~なんてN氏は言うんですけど、当然ながら新しいことを習慣化するには時間がかかります。
よしやったろうやん!と思っても、つい忘れちゃうこともよくあります。

自己肯定感上げるワークをやって「気に入った奴は続けて見てくださいね~」とかN氏は適当に言うんですけど、それだって忘れちゃうことはよくあると思うんです。

気が付けば3日も放置してた、みたいな。

ワークはもちろんそうですけど、もっとシンプルに「毎日感謝して生きよう」とか「笑顔でいる時間を大切に」とかいう自分が良かれと思った心がけだって忘れます。
ましてや「旦那様、子どもたちには優しくする」なんて無謀な心がけなんて、その日から破られたりします(笑)

そういうもんです。

いつも自分の気分が良いように、って心がけしたとしても、気候にも体調にも左右されるのが心ですから、その通りにならないときがあって当たり前なんです。

中には周りに「今日から○○をするでー!!」って高らかと宣言しちゃう人もいると思います。
そうすると「あれ?○○する言うてたのに、できてないやんけ!」とツッコミを入れて来る旦那様もいますわね。厳しい人なら特に。

また、「そんなことしたって意味ないわ」とバッサリ斬り捨てられることもあって、それでやる気がぷしゅーと凹んでしまうこともありますわね。

そういうもんなんです。

旦那に何も言われなくても、勝手に「やるって決めたのにできてないやないかあ!!」と自分を責めてしまうことだってあるでしょう。

「自分を変えようと思って決意したのに情けない」なんて責めてしまうこともあるでしょう。

それも含めて「自分」だし、私から言わせれば“そういうもん”なわけです。

でも、たいていそういう言葉は周りの人にはかけてあげやすいものです。
友達が「○○するって言うてたのに三日坊主になってもうた」とかコーヒーをかき混ぜながら言ってたら「そういうもんじゃない?また明日から頑張ればいいよ」って励ましてあげるでしょう?

そういう風に自分に接してあげるってことが大事なんだろうと思います。

自分の一番の味方は自分。
情けないのも人間らしいし、自分らしいです。

そない簡単にできるんなら、誰も苦労はしないですし、そんなことになったらN氏は職にあぶれてしまうでしょう??それはあきません!笑

できなきゃできないで、また、できるようにやっていけばいいのです。

ダメな自分もまた今の素直な自分なわけですし、そもそもそれがダメて決め付けてるのは誰よ?自分でしょ?というわけです。

まあ、しょうがないよねえ・・・と寛容に自分に接してあげることができればいいし、それができなくてとことん自分を責めてしまうのもまたそういう日だからしょうがないわね。

そういうのをまずは自分が自分に寛容になってあげることがまずは一つ目です。

だから、新しい試みは失敗するようにできてるんです。
寛容さを養うために。
自分に優しくすることを学ぶために。
そして、そこからまたチャレンジするチャンスがあることを気付かせるために。

そうやってもがいていくうちに何となく以前の自分とは違うなあ、という自分に出会えるようになります。

自己承認をするワークでよくこんな質問をします。
「半年前、1年前と比べて成長したなあ、変わったなあ、と思うところはどんなとこ?」って。

3日前の自分と比べて、、、なんてことは言わないんです。

そうした葛藤を繰り返しつつ、それでも半年経ってみると、「あら、やだ、あたし、ちょっと変わったかも」って気付けたりするものです。

いい人だったり、気を使い過ぎたり、優等生だったり、完璧主義だったり、真面目だったり、期待に応えようとしたりするとコケるもの。

私のクライアントさんの一派に「動かない妻たち」という集団があります。
旦那さんとの関係を良くしたくてカウンセリングにいらっしゃるんです。
で、あれしましょう、これしましょう、という提案をするわけですね。
でも、できなかったり、やらなかったり、忘れていたりするんです。

で、時に「そう言えばあれ、やりました?」というと、「やろうと思ったんですけど・・・」という答えが返ってくるんです。

で、「ダメですよね。そんなんじゃ」とか言うので、まあ、しゃあないですよねえ、また今日から始めましょう・・・みたいなことをN氏は言うんですね。

で、そういうカウンセリングをしていると、その一派の面々はニコニコしながら「あの宿題、やろうと思ったんですけど、できなかったんですよね~」なんて言い始めるわけです。

おいおい、もっと反省しろよ!とか思っても無意味なので(笑)、「お、自分のことが理解できるようになりましたな!さすが動かない妻たち代表!」なんて言うと、嬉しそうにしてたりするんです。

「こんなんでよくなるんですかねえ?」って言うので、「頑張っても良くならないときは良くならないしね、気長にいきましょうよ」なんてのんびりしたことをN氏は言うので、「そうですよね~」なんて、カウンセリングだか、お茶飲み話なんだか分からない展開を見せるようになります。

でも、やっぱりそんな日々を過ごしていても変わって行くんですよね。なぜか。
前より表情は変わりましたなあ、だいぶ女っぽくなったんじゃない?男でもできたの?なんて。
「気持ちはちょっと楽になってきたかもしれません」という感じで。

そら、もっと早く変化する人もいるんですけど、その人のペースが大事なわけですから。
問題解決っていうより、人生のプロセスってフルマラソンみたいなもんですからね。
自分のペースで走らなきゃバテちゃうわけです。

「ま、こうしてカウンセリングに行こうと思うだけで良しとしなきゃね」ってことになるわけです。

そういうテキトーなカウンセリングをしているので、時には「こいつはあかんわ」と思われるかもしれません。ま、それもしゃあないことです(笑)

カウンセリングやセミナーでいつしか私は積極的に自分を変えることを強くお勧めしなくなりました。
それよりも、できたときは褒めてあげて、できなかったときは寛容になってあげる、まるで、自分で自分をカウンセリングするように接してあげたらいいんだろうな、と思ってます。

そもそも能力がないわけじゃないので、その気になったり、スイッチが入ったり、何かのきっかけがあったりすれば、勝手に人は変わって行きます。

そして、なるようになっていくのが人生というものじゃないかと思うのです。

だから、今問題があって、それを何とかしたいと思うのはいいんだけど、思い通りに行かないのが当たり前だから、諦めずに今できることを今の自分に合わせてやっていくのがいいやね、と思うのです。

先日、ある古くからのクライアントさんが「もしかして私、幸せかもしれないって気付いたら、いろんなことに感謝できるようになりました」なんておっしゃってたんですよね。
それが何より素晴らしいことではないでしょうか。


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