負けを認める、だけでなく、相手や自分のいいところを認めるのも、比較競争を手放すヒント。



昨日の記事「同業他者の事を言われると私の提供する事はダメなのか?とまず先に思ってしまうのです。」についての補足、というか、違う見方がありまして。

自分軸じゃないと相手に振り回される、というのが基本で、自信を付けるには他人軸では難しいから、ぜひ自分軸に移行しましょうよ!そこで「できることを一生懸命やればいいよ!」なんて展開をしました。

>そんな中、あなたのblogは面白くないと言われてるようでちょっと悲しい気持ちにもなりました。

という一文がMさんのシェアの中にあります。
そう思うのは無理はないのですが、私たちは自信がないと他人軸でモノを見やすくなります。
Mさんの場合は「ひよっこ」ということで無理はないことなんですけど、とはいえ、他人軸ってのは辛いもんです。

「比較」という罠があるんです。

友人から紹介された他の占いblogと自分のblogを「比べる」ということをしてしまうんですね。

で、Mさんはたぶん、素直で正直な方なんだろうと思います。これ、商売をするにはとても大切な才能ですね。

>実際そのblogは私にはない書き方でとても面白く『こういう書き方もありなんだ』って悔しいけど認めざるを得ないというか(笑)。

という風にお話されてるので。

これが完全他人軸だと、なんか比較した上に負けたような気がしてしまって、凹んでしまうだけなんですが、そこで素直にそのblogのいいところを認められるのが、Mさんの器の広さ=自分軸でふだん生きてるんだろうな、という部分です。

とはいえ、悔しい、という思いがあるのも確かですよね。

この悔しい、からの、負けた気がする、自分はまだまだダメだ、、、というのを「競争」と言います。

競争心が強い人は「悔しい」から、相手のダメ出しをします。

「ま、確かに面白いと思うけど、論点がめちゃくちゃじゃね?」
「うん、いいと思うんだけど、私のブログの方がいいこと書いてるよね」

みたいな。

中には、敢えて相手の悪口を吹聴する人もいます。

この「比較」や「競争」という罠は、人間関係、とりわけ、ビジネスや恋愛・結婚というところでは本当によく出てくるものです。

その心理的背景にあるのは、自分軸ではなく、他人軸になってしまっているところであり、自信のなさなのです。

この比較と競争はどちらも「自立心」の中にあるものです。

自立してるんだから、地に足が着いてるわけで、自分軸なんじゃないの?と思われるんですけど、比較するには対象がいますし、競争するにも相手が必要です。

そして、比較や競争する際には「相手のいいところ、強み」を見て、自分を見ています。

というのも比較や競争にもポジティブな要素もあるんですね。
「ああ、確かにこのブログはこんな素晴らしいところがあるなあ。パクっちまおうかなあ~!」みたいな思いになるときですし、「あいつも頑張ってるよなー。俺ももっと頑張ろう!勇気とやる気をもらったぜ!」みたいな思いになるときです。

でも、足を引っ張ろうとしたり、自分を卑下したり、逆に優越感に浸ったり、というときは、ネガティブな比較・競争をしてるんです。

この時は相手が基準になってるの、分かります?
だから、これは他人軸の問題になるのです。

ポジティブな比較・競争の場合は「自分にできること、できないこと」がきちんと分かっているので、素直に相手のいいところを認められます。
「おお、そういう風な切り口で来たかあ!それはやられたなあ!!」なんて明るく話せるわけですから。

この比較や競争を手放すには、要するに「自分軸」で居ることが大事、というのが一つ。
そして、同じような意味ですけど「自己肯定感」というのがもう一つのテーマです。

こうしてまた本の紹介に向かうのもアリですけど(笑)、よくお勧めするのが「白旗を揚げる」ということです。

「負けを認める」ということ。
これはよく「自立」側の人にお勧めする方法ですから、たいていの人は悶絶します。抵抗します。嫌がります。→それを見てほくそ笑む私(笑)

例えば、社長さんにやってもらいます。「お前らには負けたよ」と。

夫婦関係が競争にあるならば、クライアントさんである奥さんにやってもらいます。
「家に帰ったらね、棒切れを一本用意して、そこに白い布をくっつけて“白旗”を作ってくださいな。」って。

今まで3人くらい実際作ってくれた人がいます。少ないですね(笑)私のカウンセリングの宿題履行率なんてそんなもんなんですよ(涙)。

ところが、ちょっとディープなお話。

競争でずっと生きてきた人。
負けを認めたらあかん、と思ってずっと踏ん張ってきた人。

自立系ロックマンにすごく多いですし、そうじゃなくても、社長さんや職人さんや負けず嫌いな人にも多いです。
そういう人たちにとって「負けを認める」というのは「死」を意味します。

だから、負けを認めた瞬間、気力がすっかり失われる、ということもよくあるのです。

それで安易に負けを認めさせるというのはあまりいいことではなくて、その人が負けを認めた後のことまでちゃんと考えとかないとヤバいことになるんです。

競争が自分を支えてる、という人もいます。
負けたら自分はおしまいや、と思っている人もいます。

そういう方は負けを認める代わりに、相手を認める、ということをしてもらうこともあります。

「あなたの右腕でしょう?その専務さん。いいところあるんじゃないですか?」とか「旦那さん、そんな悪いところばっかりなんですかねえ?」って。

そういう聞き方をすると仕方なくではありますけど、いいところを見始めます。
しかも、めっちゃたくさん(笑)

そして、「じゃあ、そんな素晴らしい専務さんだって、あなたの素晴らしいところ、いっぱい知ってるんじゃないですか?」とか「その旦那さんだって、あなたのこと、愛してくれているんでしょう?」なんて話をすると、「いやあ、それでもねえ」とか言いながらまんざらでもない顔をします(笑)

そうして自信を付けさせてあげるような方向で見ていくと、実質的に負けを認めたことになり(笑)、比較や競争が手放せるようになるのです。

競争心が強い人は、それくらいピンチな心の持ち主です。
自分に価値を見いだせないし、周りはすごいと内心思っているし、かつ、周りに振り回されているのでいつも緊張しています。

皆さんの周りに「ああ、あの人がそうだなあ」と感じる人がいたら、そんな内面をぜひ見てあげてください。
少しは寛容になれるかと思います。

そして、その人の自信のなさを克服してあげるような、そんな接し方をしてみてください。

さて、なんでこんな話を書くか?というと、新刊発売講演会に押されて、月例の心理学講座が閑古鳥になる危険があることに気付いたからなんですね。

そう、今月の東京・大阪での心理学講座、「比較と競争の罠を手放す」なんです。知ってました???

心理学講座「比較と競争の罠を手放して、自由な自分になる方法」
大阪・梅田:9/15(金)19:00-21:00 
東京・飯田橋:9/20(水)19:00-21:00


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