「親密感の怖れ」と「自立」との関係性について。またその乗り越え方。

自立するプロセスで必ず私たちは多かれ少なかれ傷ついています。
それが親密感の怖れを作るわけですが、でも、それは悪いことではなく必要なこと。
成熟性とはそれを越えて愛を与えることを意味します。

今日の親密感の恐れ、というメルマガを読んでいて疑問に感じたことがあるのですが、幼い頃に傷つく事で自立ができる。
しかしひどく傷ついた経験があると親密感への恐れが現れてくる、、という事だったと思うのですが、親密感の恐れが出てくる人と恐れが出ることはなく自立が出来ている人の違いは何にあるのでしょうか?
(Mさん)

元ネタはこちらです。リアルな心理学講座でもテーマにしてみましたが、とても好評いただいています。

「親密感への怖れ~近づきたいけど怖い。自立の恋は必ず葛藤が芽生えるもの~」
http://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/16952

さて、そもそも自立というのは何か?というと、色々な表現ができますが、ざっくりこんなイメージで捉えて見てください。

「依存時代、私たちは誰かに面倒を見てもらう必要がありました。
 だから、愛されることが大事で、愛することを人に求めてきました。
 しかし、欲しかった愛はなかなか手に入らず、むしろ、愛を拒絶されたりして傷つくことが増えて行きました。
 そして、誰かに期待しても、誰かに求めてもダメだ、と悟り、自分ひとりで生きて行くことを決意しました。
 もう二度と傷つかない、もう二度と人に期待しない、もう二度と人に求めない、という生き方です。
 それを「自立」と言います。」

ま、ちょっとネガティブな表現になってますね。
ポジティブに言い換えて見ましょう。

「依存時代、私たちは自分の無力さを痛感して来ました。
 人に愛を与えようとしても受け取ってもらえず、そのたびに傷つきました。
 まだ幼いから、まだ何も知らないから、という理由で拒否されてきたのです。
 それならば、と、もっと大きな愛を与えられる存在になろうと自分の力を磨くことにしたのです。
 それを「自立」と言います。」

ま、要するに「傷ついたから自立した」という見方が正しいのです。

だから、Mさんの疑問

>親密感の恐れが出てくる人と恐れが出ることはなく自立が出来ている人の違いは何にあるのでしょうか?

にストレートにお答えするならば、その違いは「怖れが出て来てるか出てきていないかの違いであり、今怖れが出ていない自立の人も距離が縮まってくればいずれ怖れが出て来る」と言えるのです。

でも、そもそも「傷つくことが悪いのか?」「親密感の怖れを持つことが悪いのか?」ということなんです。

傷付くことで学ぶこと、いっぱいあります。
皆さんも失敗や挫折から学んできたこと、たくさんあるでしょう?

親密感の怖れから学ぶこともいっぱいあります。
逆に、それがなかったら軽率に人との距離を縮めすぎてしまうかもしれません。

怖れがあることで警戒心を持ちますが、それは見方を変えれば自分で自分を守る術でもあります。

Mさんもきっと「程度の問題」ということをおっしゃりたいのだと思いますが、その通り、バランスなんですね。

さて、こういう話をすると自分の過去を振り返ったり、今子育て中の方は子どもの将来を案じてしまったりするわけですが、一番大切なのは「今の自分」です。

特に子育てについては最近もよく取材していただくのですが、いつも自分でも思うのは「親が見本」ということ。

子どもに親密感の怖れを持って欲しくなければ(持つにしても最小限にするには)、親がその怖れを乗り越えている必要があるんですよね。

「親密感の怖れを抱いてほしくない」とするならば、自分自身がパートナーや周りの人たちとの間で「親密感の怖れを癒す」必要があるわけです。

ね?心理学ってめんどくさいでしょ?
何かと自分自身に課題を突き付けられるんですもの。
この世界で17年も生きてるなんてさ、もうドM以外の何物でもないですね、ほんと。お願い、ぶって。

あなたはパートナーとの間で対等性をどれくらい築けていますか?
あなたはパートナーとの間でどれくらい親密感を感じられますか?

それが今のテーマなのかもしれません。

パートナーがいらっしゃらない方は、今の周りの人たちとの関係で、変に自分を卑下したり、自己価値が受け取れなかったり、自分を承認できなかったりするところ、ありませんか?

それを親のせいにするのではなく、与えられた課題だと思って、今、取り組むことが大事なんです。
そもそも親だって全然完璧じゃなかったわけですしね。

親密感の怖れが出て来る、ということは、それだけ相手に近付いた、ということ。
それは吉報です。

そして、それを乗り越えるために、怖れよりもその相手を愛せますか?という選択肢が与えられています。
つまり、怖れよりも愛を選ぶ勇気はありますか?ということです。

じゃあ、それって具体的にどうするの?っていうと、私の場合、そういうセミナーで実践をしてもらうことができます。
リトリートとか1DAYセミナーとかですけど、実際に他人との距離を縮めてみる、とかね。

じゃあ、セミナーに行けないあたしはどうしたらいいねん?と武装蜂起しそうな人たちもいるわけですが(あ、そういう人たちは万難を排してセミナーに突撃することも大いにありますが)、怖れを越えて親密感を選ぶ、ということは、

・その人の価値をより見つめる。
・その人への愛を惜しまない。
・その人への愛情表現をより多くする。
・(パートナーならば)その人とのセックスをより充実させる。
・自分の痛み、怖れをその人にシェアする。
・その人の痛み、怖れを受け止める。
・怖れを正直に伝え、近付きたい意志があることも伝える。
・よりホンネのコミュニケーションを心がける。
・その人のためにできることを見つけて実践する。

いかがでしょうか?

親密感の怖れのテーマではあまりお話していないのですが、それが「怖い」という感情で出てくる場合は分かりやすいんです。
でも、実際、親密感への怖れは嫌悪感とか抵抗、拒否・拒絶といった形で表に出てきます。

また、それがニーズ(欲求)と結びつくと、怒りや要求として出てきます。
「なんで私が与えなきゃいけないのよ。十分にもらってないのに!」みたいに。
「でも、愛してるかどうかわかんないし」という風に。
「私がその気でも相手もそうなのか分からない」て感じで。

つまり、怖れはその人と向き合うことを避けるように仕向けるわけですから、一見、怖れと分からない形で出て来ることが多いのです。

だから「大義」というか、その先に見るものが重要です。

・その人とどんな将来を描きたいですか?
・あなたはその人とどんな関係性を築きたいですか?
・その人を愛したいですか?

例えば、その人=パートナーだとしたら、あなたはパートナーシップでどんな関係性を築きたいですか?というがポイントになるのです。

ま、目をそむけたくなりますよね(笑)

だから、たいていの場合、純粋に「愛しましょう、与えましょう」と言うと固まってしまうので、私は威厳をもってこう伝えるわけですね。

「アホ(おバカ)になりましょう。ってか、アホ(おバカ)でしょ?」

まあ、アホにならな、やっていけんわ、という状態になるものなのです。

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