自分を愛する、ということについて。

大丈夫、大丈夫、と思っていると、ちょっとした不調のサインも無視してしまいます。
そもそも向き合うのも怖いし、なんとかなるだろう、と軽く考えちゃったりしますから。
でも、今のうちに手を打っといた方がいいこと、ありません?

昨日のお話で、「幸せ」を「愛」に置き換えても意味が通ります。

愛ちゃんにも過大な期待をかけないであげてね(^^)

ちょっとしたところに愛ってあるものです。

例えば、あなたの隣の席の人がペンを落としてあなたの席にコロコロと転がってきました。あなたならどうします?豪快に蹴とばします?たぶん、拾ってあげるよね。嫌いな奴じゃなきゃ。それって愛ですよね。

例えば、あなたが電車のドアの前に立っていて、ある駅で目の前のドアがウイーンと開きました。あなたが降りる駅ではありません。どうします?
「ここを通りたければ俺を倒して行け!」って思います?
一旦、降りて後に続く人が通りやすくしてあげますよね?
それって愛ですよね。

そんな風にあちこちに愛ってあるんだと思います。
それは時に優しさとか思いやりとかとして表現されるし、場合によってはマナーと言われることもあるけれど。

で、今日の本題はそれじゃなくて、自分を愛する、ということについて。
ちなみにこのネタを書くと、真っ先にうちの奥さんから「それが分かってるんやったら、お前がまずは実践しろよ!!」とド突かれそうですが、今出張中なのでこの記事を書くことにします。自戒を込めて。

自分を愛する、ということは広義に解釈できることで、例えば「自分が笑顔になれることをする」「自分のご機嫌取りをちゃんとする」「自己肯定感を上げる」「好きなことをする」「体や心のケアをちゃんとする」などが挙げられるのですが、今日はその「体と心のケア」について考えてみたいと思います。

体が丈夫な人ほど無茶しやすいんですよね。
自分は大丈夫だと思ってるからちょっと具合が悪くなっても「まあ、大したことないだろ」と思ってやり過ごしてしまいます。
そして、実際、大したことないので会社も行くし、飲み会にも参加します。
でも、やっぱり不調が続くんだけど、でも、休むほどじゃないよなあ、と市販の薬を飲みます。

それが定例化してくると、生理前だからね、とか、忙しい時期はいつもこうなる、みたいな感じで慣れてしまって、それで結果的に回復するのですっかり、それで大丈夫、と思い込んでバシバシ働いてしまいます。

私のクライアントさんにはなぜか自立系武闘派女子というジャンルの人たちが多いのですが、彼女たちは仕事も恋(夫婦)も超絶頑張るタイプだし、「他人の一人や二人抱えられんと女じゃねーよ」と啖呵を切ってものすごく働いてる人も少なくありません。

で、いつしか「各社の頭痛薬に詳しくなる」とか「週に一度のマッサージ(整体)通い」が“ふつう”になります。

「年齢も年齢だし、そうなるよね」なんて思います。

朝は体が重たいし、週末は寝て暮らすことがあっても、“生活スタイルを変える”というところまではなかなか踏み込めません。忙しいし、そこまで意識を回す余裕もないっちゃないし、「大丈夫」と思い込んでるから。

それである時、健康診断で再検査になって「ひやっ」となります。
けど、まずは「経過観察」になることが多いので、「ま、ちょっと気を付ければ大丈夫だろう」って思うんです。
でも、最初は気を付けていたものの、だんだん元の生活に戻っていきます。
つい大丈夫だろうって自己診断して、検査に行かなくなる人もいます。

そういえば、バリバリの武闘派女子が働きすぎて倒れて入院までしたのに、1年後にはまだ元の忙しさに戻ってしまい、再度病院に担ぎ込まれてました。
その方、医療関係者で、「自分の病院に2回も入院して、先生にも看護師さんたちにも思い切り呆れられた」と申しておりました。

懲りない生き物ですね。

ま、こうした文章を書いている私にとってはかなり自虐ネタになっております・・・。

で、そうした「慣れ」とか「定例化」というのは「麻痺」と言い換えられます。
急に悪くなることってあまりないので、徐々に徐々に「不調」に麻痺して、「不調」であることに慣れてしまいます。

そして、言い訳がとっても上手になります。

で、それが後々ドッカーンと来るんですね。
でも、後々なんですよ。今、じゃないんですよね。
そしたら目の前の忙しさにかまけてしまうのです。

例えば、朝起きるのが辛い、という時点で不調ですよね。体が「よく休めてないで~」と訴えているのです。週末に寝てばかり、というのも明らかにオーバーワークなんです。

でも、そういう話をすると「でも、仕事休めない。無くならない。仕事辞めたら生活できない」という風になります。
入院のような強制的に休む状況にならないと、なかなか休めないのです。

これ、体の話をしていますが、心でもあるんですよね。
というか、むしろ、心の話です。

「自分を愛する」ということを知ってはいるけど、ほんとうにそれを実現できる人は現代人ではごく少数なのかもしれません。
忙しいからね。

でも、せっかく貯めた貯金を病院代に費やす、というのもアレでしょう?

「自分の心の声に従う」ということが大事なのだけど、長らく思考中心で生きてくると、心の声が聞き取りにくくなってしまっています。

私自身もそうでした。
ついつい義務感やスケジュールをこなすことの方が重要で、迷惑を掛けたくないし、頑張りたい気持ちもあって、かなり無理をしていました。(奥様。過去形にすることについては立場上ご容赦頂きたいと思います。)

カウンセリングやセミナーではそういう方々にちょっとした「休息」の時間を作っています。リトリートセミナーなどではそういう時間が過半を占めると言ってもいいかもしれません。
つまり、「自分を愛する」ということにだいぶフォーカスしています。

さて、あなたの心は今、何を訴えているでしょう?
そして、あなたはその声をどうとらえているでしょう?

無視していますか?
否定していますか?
それとも宥めていますか?

心の声がすぐに分からなくてもじっくり耳を傾けていれば分かってくるものです。
私も実は長らく無視したり、なだめたりしていました。

最近では奥さまの厳しいご指導ご鞭撻もあり(もちろん、それは愛情ですね)、少しずつ意識を変えるようにしてきました。
1年前と比べると仕事時間はずっと減りましたし、信じられないかもしれませんが、酒量はがくんと減っております。(これでもね)

自分の声と、他人(世間体)と、どっちを大事にしますか?

それには勇気が必要です。
ほんとに覚悟が必要です。

まずは、心の声に耳を傾ける勇気ですね。

さて、「そんなこと言われたって」と思われた皆さんへ。

ここからが実践編です。
それは「自分がちゃんと自分を愛せるようにするにはどうしたらいいか?」を考えてみることです。これには思考を使った方がいいです。感情(というかエゴ)に任せていると先延ばししかできません。

つまり、「心の声を聴く時間をどうやって作るか?」「不調を訴えている自分の体をどう癒してあげるか?」を考えてみて欲しいのです。

そして、考えるだけじゃなくてももちろん実践も必要です。
どうしたら、この自分が動けるのかを考えて、動く、わけです。

自分の性格や生活スタイルを考慮に入れて考える必要がありますね。

「私、けっこう頑固だしなあ。意地っ張りだしなあ。分かってはいてもなかなか動けないなあ」と思うならば、そんな頑固な自分が自分を愛するためにはどういう環境を整えたらいいのか?を考えることなんです。

まずはそこからでいいんです。

ある人は、体調を崩して休まざるを得なくなってからですが、「地元にいると休めない性格だから」と1か月間、旅に出ました。

ある人は、ついつい無理をしちゃう性格だから、と、好きな趣味(釣り)にのめり込むべく高価な道具を揃え、かつ、強制的に釣りに出かける環境を整えました。

ある人は、毎晩1時間、自分の体を隅々までケアする時間を作りました。

ある人は、薬膳料理教室に通って体にいい料理を作る習慣を作りました。

私は仕事を減らし、午前中にはなるべく予定を入れないようにし、家ではほとんどお酒を飲まず、早寝を心がけるようにしています。

自分なりに、ですけど、

 朝、起きて体が楽。
 休日は遊びにワクワクしてる。
 仕事に行くのが楽しい。

この状態が「正しい」と思うのですが、いかがでしょうか?

これを応用すると、大切な家族や仲間、友達に対して「自分を愛しなよ」と伝えることができます。

「頑固な自分が動くには?」を考える延長で「頑固な旦那が動くには?」を考えるんです。

そこで「あの人が体や心にもっと気を掛けてくれるようになるにはどうしたらいいのか?」をあの人の性格や生活スタイルを元に考えてみるんです。

奥様方によくお勧めしてるのは、ピロートークは効果的ですよーって話。
あるいは2人で美味しいご飯を食べ行ったときにそっと手紙を渡してみる、という話。
娘や親など、弱点を突いてみる、という話。
でも、時にはきつく言うことも効果的ですね、という話。

不調を訴えられるクライアントさんも多数いらっしゃるので、今日はコラムみたいなお話を書いてみました。

「この自分が(あの人が)動けるようになるには?」というアイデアをたくさん出して、実践する、そのプロセス自体も自分を愛する、ということです。

ということで、自虐ネタでございました(^^)

あ、しまった。現代にはラインというツールがあって、遠隔にいてもリアルタイムに連絡が取れてしまうのだった。しかも、SNSにシェアすればコメントも付けられるのだった。この記事を奥さんがたまたま見逃してくれることを切に祈ります。