Tさんからふと頂いたご質問。あるあるなので、ちょっとご紹介。
>あれから考えていますが、 (素直な自分) (自分に素直になりなさい)が、判りません。
>これは、どうやったら判るのでしょうか??
もう分かってるんです。実は。もうすでに。
「素直な自分」の答え、もうTさん、この短い文章の中に書かれてます。
そう「判りません」です。
それでいいんですか?って思うでしょう?
それでいいんです。
他にあるでしょうか?
「判りません」が素直な自分じゃいけないんでしょうか?
ええー!?と思った方、何か立派な答えがある、という思い込みに縛られているのです。
*
素直な自分になるには「子どもになってみる」といいです。
少し目線を低くして、子ども目線になってみるんです。
「だって、わかんないんだもん」って子どもは平気で言いますね。
それもまた「今の素直な自分」なんですね。
*
だから、考えてわかることじゃないんですね。
もうすでに分かっていることなんです。
私の今の素直な気持ち、というのは、もうすでに今あるんです。
それが「判らない」のであれば「判らない」でいいんです。
禅問答みたい?
騙されてるみたい??(笑)
ありのままってそういうことなんですよね。(あ、話題変わった!?)
例えば、算数だと
3+5=8
が正解で、8以外の答えを書くと、たぶんペケ(✖)ですね。
でも、「素直な自分」という科目だと、
3+5=8
も正解だけど、
3+5=???
も正解なんです。
もしかしたら、
3+5=7
これも正解ってこともあるでしょう。自分がそう思うのであれば。
ありのままの自分、素直な自分ってそういうことだと思うんです。
今の自分、そのままを表現する感じ。
間違っていても、分からなくても、できてなくても、理想通りじゃなくても、怒っていても、何でもいいんです。
それが「素直な私」です。
今、ほっぺをつねってみてください。
「いたっ!」となるでしょう?
その「いたっ!」てのが素直な自分です。
考えると難しくなります。
「素直になりたいなあ」とか「素直な私が知りたいなあ」と思ったら、ぜひ子どもたちを観察してください。犯罪者、変質者に怪しまれない程度に。
案外、そういうことかあ、て分かったりします。
賢い人ほど考えすぎますね。
だから、アホになりましょうよ~って言うんです。
「アホになれません。どうしたらなれるんですか?」と思ったあなた。
それが今の素直なあなたですぞ。
*
余計こんがらがった??
そしたら、こんがらがった自分が素直な私。
でも、そのうちきっと分かるようになると思います。
素直な私になるには、常識や答えを求める意識や正解や理想を手放す必要があるのかもしれませんね。
Tさん、とりあえず今日は「素直な私が判らない」でいいんだ、って思っておいてくださいね。