(小ネタ!?)夢見る夢子ちゃんや、思い込みの激しい勘違い男などは現実を見てないのでしょうか?自分が幸せだからいいんでしょうか?



元ネタはこちらです。

>問題とは?問題解決とは?~すべては自作自演~
http://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/17032

***
根本先生、いつもメルマガ、楽しみに読ませていただいています。

「問題はそれを問題と認識する人にとっての問題であり、その人以外は関係ありません。
また、解決とはその状況が改善することではなく、その人のマインドが主体的に変化することを表します。」

という出だしから、ふんふんなるほど、さすが根本先生!とうなづきまくっておりました。

ただ、最後まで読んだ時に、ふと浮かんだのですが、
例えば、夢見る夢子ちゃんや、思い込みの激しい勘違い男などは、どうなんだろう?と疑問が出てきました。

現実を見ていない、

とも言えるし、

自分が幸せだからいいじゃない、

とも思えるし、こういう人たちの場合は主体的に自分を生きている、というのか、それはまた別の話になるのか。

気になってまた寝らんなくなっちゃった(←古すぎっ(^◇^;)きっと平成生まれは知らないネタ)

本気で信じ込んでる人は、ある意味幸せかもですが、周りは迷惑ですよね。ストーカーとか(^_^;)

あれ?それも引き寄せてるから、周りにそういう人を呼び込む人の問題で…???
考えれば考えるほど混乱してきました(^_^;)

心理学って知れば知るほど、禅問答かパズルのようですね。
根本先生の文章は長さを感じさせないくらい面白いので、これからもメルマガ楽しみにしています。
お読みくださり、ありがとうございました。
(Mさん)
***

そう、禅問答になりますね。
なんせ、心理学って別名

ああ言えば、こう言う学

ですからね~。どっちからも言えるようなことがいっぱいあります。
だから、Aカウンセラー、Bカウンセラー、Cカウンセラーで見解が異なったりするんですよ~。
ややこしいですね。
だから、面白いんですけどね(^^)

でも、ほんとはシンプルなんですよ。

「自分(主体者)がハッピーかどうか?」

ここに行き着くと思っています。

Mさんが疑問に感じてらっしゃる「夢見る夢子ちゃんや、思い込みの激しい勘違い男はどうなんだろう?」という思い。
これ、あるあるだと思います。
皆さん、スマホやPCの向こう側でうんうんうんうん、そうだそうだそうだ!と言いながら、きっと頭の中にあいつらの顔を思い出してると思います(笑)

で、「夢見る夢子ちゃんや勘違い男」なんですけど、彼らは彼らで自分がそうであることを知らない(自覚していない)ことが多いですね。
自分ではそれがハッピーだと思っているわけですよね。
それはその人それぞれの事象なので、観察者である私たちは何も言えない、というのが正直なところです。

分かりやすく言えば「知らんがな」であり、「関係あらへんがな」ってことになります。
つまり、それは人のことであり、自分のことではないんです。

だから、こういう質問をカウンセラーらしき人に迂闊にしてしまうと返す刀で、

「でもさあ、なんでMさんはそういう人たちが気になるわけ???ねえ、なんで???」って嫌らしい質問をされることになります。

夢見る夢子ちゃんはいいんですよ、その人がそれでいいってんなら。
でも、その夢子ちゃんを見て嫌な感じがしたり、否定的に思ったり、何か言いたくなったりしてるのは「私自身」ですよね。

だから、それは夢子ちゃんの問題じゃなくて、私自身、の問題なんです。

この切り分け方、すっごく重要です。
人はついつい相手のせいにしてしまいますから。

そして、その夢子ちゃんに振り回されてる別の人Aさんとか、勘違い男にほとほと困っているBさんがいるとして、そのAさん、Bさん、それぞれがそれぞれのプロセスを歩んでいるので、これまたMさんには無関係なんです。

Mさんが書いてらっしゃる「それも引き寄せてるから、周りにそういう人を呼び込む人の問題」ということです。

で、ここで再び嫌らしいカウンセラーが登場して、

「でも、なんでAさんのことやBさんのことがそんなに気になるの?助けたくなるの?なんで~?」って聞かれるわけです。

つまり、再びここで自分自身の問題に変換されるわけです。

他人や出来事はただそこに存在しているだけです。
それを「夢子ちゃん」として見たり、「勘違い男」として嫌悪したりするのは、それを見ている自分自身の問題なんです。
もちろん、同じように感じる他の仲間たちもいるでしょう。
でも、それに同意している自分がいるわけで、やはり、その仲間も関係なく、私個人の問題なんです。

だから、「こういう人たちの場合は主体的に自分を生きている、というのか、それはまた別の話になるのか。」ってことについては、あまり重要ではないんですよね。
だって当人じゃないと分からないでしょう?

自分から見れば夢見る夢子ちゃんなんだけど、実は自分からは見えないところでものすごく堅実に資格試験の勉強してるかもしれないし、
自分から見れば勘違い男だったとしても、陰で「俺さ、ほんとは分かってるんだよね」と友人にこぼしてるかもしれないし。

あくまで自分から見たその人が夢子ちゃんであって、その人そのものをちゃんと見れてるかなんて分からないわけです。(というか、見てないんですよね、ほんとのことは)

そういう風に考えるとですね、

>本気で信じ込んでる人は、ある意味幸せかもですが、周りは迷惑ですよね。ストーカーとか(^_^;)

というのも、確かにそうなんですけど、これは分からないんですよね。
当事者になってみないと。

そして、そういう人が身近にいた場合、自分が取るべき選択肢は無限にあるわけです。
そういう人とは距離を置いてもいいし、
説教してもいいし、
助けてあげてもいいし、
告発してもいいし・・・・。

ということで、こういう話を総括すると「人のふり見て我がふり直せ」ということになるんです。

夢見る夢子ちゃんらしき人を見て、いやだなあ、と思ったら、自分の中にそんな要素がないかを見つめます。
そして、それが嫌だなあ、と思ったら手放します。
そして、手放せたら、そのきっかけをくれた夢子ちゃんには感謝!ですね。

勘違い男が現れて、気持ち悪いなあ、と思ったら、自分の中にそんな要素がないかを見つめます。
そして、それを手放します。
その結果、自由になれたらそのきっかけをくれた勘違い男には感謝!ですね。

周りが見えない人がいて、でも、本人はある意味幸せなのかな、と思ったら、そんな要素が自分の中にないかを見つめます。
そして、それが見つかったら手放すか、それともそういう生き方もありか、と許すか、自分で選択します。
そして、手放しても許してもどちらにせよ自分は以前よりハッピーになれるので、その人に感謝!ですね。

心理学って分析ツールとして見たら禅問答にもなりますし、ああ言えばこう言うややこしいものに見えるんですけど、実際は幸せになるために、自分自身を見つめ直すためのツールに過ぎないと思ってるんですよね。

だから、人の振り見て我が振り直せ、です。

カウンセラーって大変なんですよ。
すべてのクライアントさんが自分の鏡で、いろんなふりを見せてくれるんですから。
「この人、ほんとに何言うても動かないなあ」と思ったら、「ああ、俺の中の頑固さを手放せってことかー。くーっ!」と悶絶し、
「この人、ほんとに自分の価値や魅力に気付いてないし、受け取らねーなー!」と思ったら、「ああ、俺の価値や魅力をもっと受け取れってことかー!!くそーっ!」と悶絶し、
「この人、自分がどれだけ頑張ってるか分かってないな、ほんとに!!」と思ったら「ああ、俺、まだ頑張りすぎか!そうか!くそっ!!」と悶絶するんですよ。

ということで、最後は愚痴でした・・・(笑)

はぁ。。。。皆さん、いつも私を鍛えてくださってありがとうございます・・・m(_ _)m


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