理解されない勇気。~無償の愛を与える、とは?~


どうしても私たちはニーズがあって、相手の反応を気にしてしまいます。
「~してくれない」「~してほしい」という依存語もそういうときに出ちゃいます。
じゃあ、与えるって何だろう?無償の愛って何だろう?ってことを考えてみます。

今日ある方のカウンセリングをしていてインスピレーションが来まして。
というか、その前に頂いたメールを見ていた時に、その兆候はありました。

「理解されない勇気を持つ」ということ。

与える、というテーマで来月講座をするわけですが、お客さまがいらっしゃるまで、そのことをつらつらと考えていたのです。
そこに飛んで火にいる夏の虫の如きクライアント様がいらして、ご主人のことがむかつく、と。とても与える気にはなれない、というお話をしてくださったのです。
本当は仲良くしたいんだけど、でも、あの態度を見ているととてもむかついてしまう、と。

怒りは怒りでOKって定型な話をしつつ、ちょっと深入りします。

何がむかつくんだろう?何が嫌なんだろう?
仲良くしたいのに、どうしてなんだろう?

彼女は自分で仕事も持っていて、全然ご主人がいなくても生活していける経済力をお持ちです。
お子さんも大きいですし、スパッと切ってしまったっていいわけです。

でも、何が嫌なんだろう?

あれこれとやっても何も反応してくれないのが嫌だ、と奥さんは言います。
喜んでもくれないし、手ごたえがない、と。
かといって嫌がっているわけでもないから、複雑な気持ちになる、と。

さらには色々としてあげているのに冷たい態度を取られるので辛い、と。
あれやこれやと話しかけても理解し合えないのが寂しいのです、と。

これはそのメールにも書かれていた一文でした。(メールは別の方から頂いたものでした)

与えるって難しいな、と思います。

与える、の定義は「相手のためにしてあげること」ですが、それを私はより厳しく「相手のためにしてあげることで、かつ、自分もそれが嬉しいこと」と定義しています。

相手が喜んでくれようがくれまいが、自分がそれをしてあげていること自体に喜びがあることを「与える」というんじゃないかと思っています。

いわば、無償の愛、ですね。
相手からの見返りを求めない姿勢です。

口で言うのは簡単ですが、日常生活でそれを体験するのはなかなか厳しいものがあります。

ただし、私の経験上、子どもにはそれ、許せるんです。
子どものためにしてあげてることって親ならいっぱいあると思うんですけど、あいつらはそれをことごとく反故にすることもあります。

「ふりかけご飯食べる」というから作ってあげたのに「いらない。パンがいい」と言う。
「公園に行きたい」というから連れて行ってあげたのに「やっぱりハーベストに行きたい」と言う。
「ジュースが飲みたい」と言うからママに内緒ね、と買ってあげたのに「アイスが食べたい」と言う。

でも、かわいいから許してしまいます。
いや、本当は自分の愛に絶対的な自信があるから許してしまいます。
与えられることに喜びがあるから。

でも、パートナーや親や他人にはニーズが出ます。
特に身近な人にはニーズが強く出ます。
愛することも大事だけど、愛されたいと思っちゃうから。

あれしてほしい、これしてほしい、分かって欲しい、受け入れてほしい、話を聞いてほしい・・・。

「子どもなんだから分からなくてもいいの。あなたは大人でしょ。」と思います。

だから、「与える」ではなく「取引」になってしまうのです。

「取引」というのは「○○してあげるから△△してね」ということ。
これは愛ではありませんよね。

「私が公園に連れて行ってあげるから喜んでね。」
「ご飯は私が作るから、その代わり洗い物よろしくね。」
「あなたに心を込めてプレゼントしたんだから、それなりのお返しよろしくね。」
「私は恋人なんだから、私の話はちゃんと聞いてね」

こういうことしてたら関係性が破たんするのも分かりますよね~。

無償の愛って言うのは簡単だけど、実践するのは難しいです。
見返りを求めない、ということは、与えることだけに喜びを得られるものを指すのだから。

強さが必要ですね。
自分の足で立つことが大事ですね。
自分をしっかり持つことも必要ですね。
自分の心が平安であることが大事ですね。
総じて自信がないとできませんね。
すなわち自分を愛していないとできませんね。

そうなると「理解されない」「分かってもらえない」「受け取ってもらえない」ことへの恐怖はなくなります。
「否定される」「拒否される」「誤解される」ことへの恐れもなくなっていくでしょう。

怖れがあると、自意識過剰になります。
自分に意識が向くから。
「どう喜ばせてあげようか?」よりも「どう思われるか?」が気になるから。

それは相手を見てなくて、自分を見てますよね。
だから、怖くてできません。

嫌われるかもしれないけれど、誤解されるかもしれないけれど、理解してもらえないかもしれないけれど、でも、今、これを伝えたい、というのもありかな・・・ぎりぎりかな・・・。

それを総じて今日は「理解されない勇気を持つ」という言葉に纏めさせてもらいました。
まあ、嫌われる勇気と結局は同じことを言うてるのかな・・・(苦笑)

「理解されなくてもいいじゃないか、自分が自分でいられるのなら。
でも、それは全然孤独なことじゃないんだよ。
自分自身と繋がっていれば僕たちは全然孤独なんかじゃないんだ。」

JPOP風でした(笑)

でも、本当よ。
自分自身と繋がっていれば、それを社会に投影するからみんなと繋がっているような感覚がします。
だから、全然孤独なんかじゃないんです。
例え、理解されなかったとしても、その人とも切れないんですよ。
不思議でしょ?
そういう世界があるんです。

だから、嫌いな奴も愛せるし、冷たい夫のことも愛せるようになり、そして、ロマンスを感じられるようになるんです。

そういうの、アホな妻(夫)って言うんですけどね(笑)

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