努力して魅力的になった自分も「本来の自分」なのです!



努力して身に着けた魅力は後付けだから本来の自分とは違うような気がしてしまいますが、それは努力や頑張り、そして、自己否定がしんどいだけであって、本来の自分に違いはないのです。

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2月の自己肯定感ワークショップ、先日のワークショップ、コラボセミナーに参加させて頂きましたMです。

どのワークショップも、とても居心地悪い体験をさせて頂き、ありがとうございました。
動悸が激しくなったり、沢山、汗をかきました。終わった時は、安堵感と同時に、運動した後のような疲労感とスッキリ感もありました。

根本さんの、人の内面を見透かす力には、本当に驚きました。
参加されていた方の、本来の魅力をズバリ言い当てる所は、神業のようでした。

スッキリしたのだけど、モヤモヤが残ってるので、ブログテーマとしては、パッとしないのですが、質問させて下さい。
どのワークショップでも、一緒に参加されていた方から、自分の魅力を教えてもらいましたよね。
私はどの回でも、沢山の方に「優しそう」「話やすそう」「可愛い」「守りたくなる」等、典型的な女性らしさを言って頂きました。

根本さんからは、「強い」「人の為に生きる」「情熱的」等と言われました。
一番心に引っかかったのは、「こういうタイプは近づきにくいけど、抜け感がある」と言って頂いた事です。
確かに以前は、とーっても近づき難いタイプだったと思います。
いつの頃からか、孤独感が出てきて、人に合わせたり、わざと出来ない感を出したり、自分改造を頑張りました。「優しそう」「可愛い」という褒め言葉を頂けたのは、努力のたまものです。人からも気軽に話しかけてもらえるようになり、それなりに楽しく日常を送っていました。

努力は成功したのかもしれませんが、最近は、本来の自分を生きている気がせず、とても疲れも感じます。先日のワークショップでも、そういう褒め言葉があんまり嬉しくないようにも感じました。

何だか、ワークショップに参加した後から、余計に自分の魅力や、方向性が分からなくなってしまいました。

私のように、自信のない情熱女に、アドバイスを頂ければ嬉しいです。
(Mさん)
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>どのワークショップも、とても居心地悪い体験をさせて頂き、ありがとうございました。

こういう風に言ってくださるMさん、大好きです(笑)
そして、こういう風に表現できるのもMさんの魅力ですね。

ユーモアがいっぱいありますね。
そういうところを「かわいい」と感じる男女は多いと思いますよ。

>努力は成功したのかもしれませんが、最近は、本来の自分を生きている気がせず、とても疲れも感じます。先日のワークショップでも、そういう褒め言葉があんまり嬉しくないようにも感じました。

まあ、これはほんと自然現象なんですよ。
水は高いところから低いところに流れるのと同じように。

本来の自分ではダメだと思い、努力して頑張って魅力を採り入れたとするならば、その自分は本来の自分じゃないように思いますよね。
で、頑張ってる分だけやはり疲れてしまうもの。
そして、その疲れているときに人からそれを褒められても嬉しくなかったり、「そういうキャラを演じることを期待されてる」ように感じて余計にしんどくなったりします。

でも、頑張って努力して得た魅力も自分の魅力ですよね?
だってそもそもないものは引き出せないわけだし、努力が必要だったにせよ、使えるようになった魅力は自分自身の、自分本来のもの、と思っても差支えはありません。

ただ、問題なのはその頑張りや努力の背景にある「自己否定」の部分なんです。

「今の自分はダメだから、ああなりたい」というのは努力して、頑張っている間中、自分を否定し続けることになるんです。
それに疲れちゃうんですよ。

採点してるんですよね。
「近づきにくい私はダメ」
「話しかけやすい私はオッケー」
という風に。

話しかけやすい女性に人は親しみややさしさ、居場所を感じ、気軽に近づけます。
一方、近づきにくい女性に人は高貴さやエキゾチックさ、ミステリアスさを感じ、かつ、好奇心が掻き立てられます。

さて、それぞれの長所を見たわけですが、どっちが優勢でしょうか?どっちがいいと思いますか?

ね?別にどっちだっていいんです。
近付きにくくても、近付きやすくても、OKなんです。

でも、Mさんは「孤独感」が嫌で、それは近付きにくいからなんだ、と思い、その近付きにくい自分を否定して封じ込めて、近付きやすい私を身に着けるように頑張りました。
そのプロセスはとてもしんどいものだったけど、結果的に話しかけやすい女性になれたわけです。

これは頑張って努力して、隠れいていたMさんの魅力が引き出されたに過ぎません。
つまり、両方持ってるんですよ。びっくりでしょ?

そして、孤独感が嫌だったとき、近付きにくいからだ、と思ってそれを否定しちゃったのが問題だったかもしれません。
近付きにくい雰囲気を持つ方は、自分から近づいたり、今ある繋がりに感謝したり、孤独感を表現したり、それを直さなくても孤独感を手放すことは可能です。

努力して、頑張ることができたこともまた魅力の一つです。
そもそも努力できることって才能ですから。

最近私も気付いたのですが、「本来の自分」という言葉(定義?)に振り回されてしまいやすいんです。

「本来の自分を生きよう!!!」ってスローガンを掲げるわけですが、よくよく考えたら自分以外の人生なんて誰も生きられるわけはないので、常に私たちは「本来の自分」なんです。

それが、我慢、犠牲、補償行為、気遣い、努力、頑張りなどの「したくないこと」をしているストレスが「今の俺って本来の自分じゃないよね?」って思わせてるだけなのです。

だから、したい努力、したい我慢はOKです。
それで、辞めるのは我慢、犠牲、補償行為、気遣い、努力、頑張りなどでしんどいなあ、無理してるなあ、というものを辞めていけばいいんです。

「しんどい本来の自分」が「心地よい本来の自分」に変わります(笑)

そうすると「努力して得た魅力は魅力だと認めねえ」という「受け取らない努力」と言えます。
だから、嬉しくないどころか、時に褒められるとしんどくなってしまうんです。
それはほんとうに頑張り屋さんだからなんですよ。

Mさんのような自立系情熱女子の皆さんは「ほめてほしい、認めてほしい」のに「ほめてもらうと否定する。認めてもらうと逃げる」という性質を持っていることが多いです。

「あいつらを殺すのにナイフは要らねえ、1時間褒め続ければ勝手に死ぬ」という格言もあります(読み人知らず)。

まあ、そういうわけで比較的今日も褒め殺し作戦を敢行中なんです(笑)

言ってもらった魅力はその出生がどこであれ、自分自身の魅力だと思ってOKです。
むしろ、そう思った方がお得でしょ?
選別して削除しちゃうのはもったいないですから。

ワークショップで伝えられた魅力、いっぱいあるでしょ?ノート2、3ページ分は。
あれ、ぜんぶ、私だと思って受け取ってみましょう。

でも、受け取る努力は必要ありません。
へえ、これが私の魅力なんだ~、へえ、そうなんだ~って思っとくだけ。
それが正しいかどうかを考え出すと絶対違う!って結論に至りますから(←これも受け取らない努力の一つ)。

そもそも優しい人って24時間年中無休で優しいわけじゃないですよね。
優しい人はたぶん、冷たい時よりも優しい時の方がちょっと多い人なんです。
だから、「優しいね」って言われても、そうじゃないときがあっても当然OKなんですね。

そんな風に「受け取りやすい言葉に変換する」ということを意識してみてもいいと思いますよ。

ぜんぶ、私の魅力で、ぜんぶ、本来の自分。
そう思ってみるといいんじゃないかな?
ますます自分が愛おしく、愛せるようになるかもしれません!

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