死をどんな風にとらえればいいのか?

心理学でも死は重要な意味を持ちます。
大切な人の死はものすごく悲しく、寂しく、また、時には怒りを伴うものですが、それをどのように向き合い、解釈していけばいいのでしょう?
私なりの考え方を今日はご紹介したいと思います。

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さて、先日の長女の記事(「しっかり者の長女の処方箋。」)、興味深く読みました。
「わたし次女だし」と読み飛ばしていたら、なぜかばっちり当てはまっていて、なるほど、姉がその役割を放棄していたのかーと深く納得しました。
そういえば、「長女は不倫にはまりやすい」とか、たしかに当てはまる…。

それで。姉は私が高校生の時に交通事故で亡くなっているんです。
子どもの頃から長女気質だった私。
もしかして、はじめから私が長女になるようにプログラムされていた!?と思ってしまってぞっとしました。

心理学的に見た“死”の意味について知りたいです。
スピリチュアルな話になってしまうかもしれませんが。

若くして亡くなった姉の生まれてきた意味は何だったのか。
姉だけじゃなく、高校時代の友達やいとこのお姉ちゃんなど、身近な人たちを早くに失ってしまうこの私の人生の意味は何なのか。
死を身近に感じるからか、夜中によく「このまま心臓が止まって死んじゃうかも」という恐怖に襲われます。

少しでもやるせない気持ちがなくなったらいいなぁと思います。
もしよかったら、いつかブログで取り上げていただけるとうれしいです。

それではまた、お会いしましょうね。
(Aさん)
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>それで。姉は私が高校生の時に交通事故で亡くなっているんです。
>子どもの頃から長女気質だった私。
>もしかして、はじめから私が長女になるようにプログラムされていた!?と思ってしまってぞっとしました。

もしかしたら、そうかもしれませんね。
元々「そういう予定」で生まれてくることってよくあるんです。

「運命論」みたいですけど、Aさんが生まれる前から「お姉さんは高校生の時に亡くなるのよ」ということをAさん自身も知っていた、って見ることもできます。
だから、いつでも自分が長女になれるように準備してきたのかもしれません。
もちろん、こういう部分は科学的に証明することは難しいと思うんですね。
だから、考え方の一つ、に過ぎないんですけどね。

ただ、次女だから長女とは違う、わけではないこともお伝えしなければいけません。
例えば、次女なんだけど、長女がサクッとその役割を放棄してしまった場合は、次女が「長女的役割」を背負うことになります。

例えば、お母さんが娘に頼りたい、甘えたいんだけど、長女はそれを拒否してしまい、煽りを食う形で次女がその役割を引き受けた場合もけっこうあるんですよね。
だから、次女なんだけど長女っぽい方も多いんです。

ただ、それも生まれる前から実は分かっていたことで、時には「本当はAさんが長女として生まれる予定だったんだけど、様々な事情が重なって先にお姉ちゃんが生まれてしまった」なんてこともあるんです。

この辺はにわかには信じられないかもしれませんが、意外と「腑に落ちる」場合も多く、「腑に落ちる」ということは、確かにその通りだ!って証明になるんですね。

死についてはカウンセリングでは本当に多く扱います。
私も父を亡くし、親友を亡くし、という経験が20代の頃にあったので、それゆえ、死についてはほんとうに様々な考え方を学び、自分なりの見方を探してきました。

カウンセリングやセミナーでも、そうした私なりの「死の見方」についてはお話ししているのですが、必ず、「自分なりに勉強し、研究し、考え、自分が納得できるものを探してください」ってお伝えするようにしてるんです。

私が言うことがすべて正しいとも思いませんし、いろいろな考え方があって当たり前ですから、Aさんなりに納得できる考え方はをぜひ、見つけていただきたいと思っているんです。

死は誰にでも訪れるのに、誰も体験したことがないもの(除く、臨死体験)ですよね。
心理学だけでなく、宗教、哲学、精神世界(スピ系)など、いろんな解釈、見方がありますね。
その中でAさんが「こういうことかなあ~」って思うものを受け入れられたらいいと思うのです。

また以前から周りの人の死によく立ち会うのはなぜなのか???
それもまたいろんな見方ができますが、ただ一つ言えるのは「偶然ではない」ということです。

もしかするとAさんには司祭のような、あるいは、人を導く宗教家のような才能があるのかもしれませんね。
それゆえに「お見送り」が多くなるのでしょう。

また、死に多く立ち会うことで命について考え、命の大切さを学ぶでしょう?
生きていることの素晴らしさ、奇跡を感じるでしょう?
それを感じることこそが、この人生の目的の一つなのかもしれませんね。
そして、それを伝えたり、命を大切にする活動をしたり、あるいは、命を育む仕事(それは人じゃなくて、動物、植物なんでもいいんですが)をしたりしていくことを示唆しているのかもしれません。

「なぜなんだろう?」って疑問って素晴らしいものです。
ぜひ、自分なりの答えを見つけていきましょう!!

私の死に対する見方は、それが病死、事故、自殺(自死)、流産・死産であったとてしても、そのすべてが「寿命である」ということ。
本人が生まれる前に決めて来た「寿命」に従って生きてると思うんです。

「人生は壮大なる遊園地(アトラクション)」って話をブログでも時々してると思うんですね。

私たちが生きている「今生」はいわばディズニーランドのようなものです。
ワクワクするような、狂喜乱舞するようなアトラクションやイベントが用意されていて、そのたびに私たちは笑ったり、泣いたり、喜んだり、悔しがったり、悲しかったり、楽しかったりしています。

ディズニーランドでも最後のパレードが終わるまで満喫される方と、根本家のように「疲れて来たから適当に帰ろうか?」と夕方にはそそくさと舞浜駅に向かう方などに分かれます。
でも、それぞれがある意味「計画通り」で、「自分の意志」ですよね?
さっさと帰るつもりがハマってしまって閉演まで過ごしてしまった、という場合も含め。

事故や病気で亡くなられる方は、あらかじめ“その予定だった”と考えるのが妥当ではないかな、と思うんです。
せっかくディズニーランドに来たのに、ゲートのところで「もう満足」って帰ってしまう人もいるように。(この場合はいわば流産に相当するかもしれませんね。)

例えば、待ち望んだ子どもを妊娠し、ワクワクドキドキしながら日々を過ごしていたのに、ある時心音が聞こえなくなり、調べてみたら死産だった、というママのお話も耳にします。

そのとき私は「それがその子の寿命だったんです。宇宙旅行ってほんの一瞬だけ大気圏を抜け出すツアーみたいなものかもしれませんね」ってお伝えしています。
すごく悲しいことではありますが、その子自身がママのお腹に来る前に「ちょこっとだけでええねん。すぐ帰ってくるさかい」って天国で約束して来たんだろうな、と思うんです。
だから、それもその子の寿命であり、ママは何も悪くありません。

心理学的な見方をすれば「潜在意識」や「無意識」が私たちがどうなるかを決めています。
私たちが「意識」できる領域はわずか3~5%程度と言われ、残りの95~97%が潜在意識・無意識の世界です。

失恋するのも、病気になるのも、死ぬのも、その潜在意識が「必要を感じて」起こしています。

だから、逆に言えば、潜在意識が同意しなければ私たちは死ぬこともできません。
何とか死のうとあれやこれやと努力しても、潜在意識が「私はまだ死なぬ!」と思っていたら未遂に終わるのです。

すなわち、すべての死はその潜在意識が望み、許可して起きていますから、悲しく、寂しく、辛いことなのですが、必然と言えるのです。

ただ、カウンセラーとして死の問題に接するときは、いきなりこうした考え方を提示することはあまりありません。
潜在意識だの、必然だのってことを理解するにはそれ相応の時間が必要です。

特に亡くなられてすぐだったり、その亡くなり方が理不尽だったりすれば、なかなかその人の死そのものを受け入れられないものです。
そういう場合はその悲しみや怒りや不安などの感情を解放する方が先ですよね。

その死を受け入れた後に、その死の意味を理解していくのがいいと思うんです。
だから、目の前にいらっしゃる方の状況によって何をお伝えするのかは全然別なんですね。

そういうわけで今日の記事が全然ピンと来なくても大丈夫だし、違和感を覚えてもいいし、「あれはどういうこと?」って疑問が生まれてもいいんです。

正解はいずれ分かりますからね(笑)

参考になりましたら幸いです。

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