何でいつも愚痴ばっかり言ってるんだろう?全然そんなこと言ったってお父さんは変わらないんだからしょうがないじゃないの。もっと前向きになったらいいのに。
もうこっちは大人なんだから信用してくれたらいいのに、いつまで経っても子ども扱いで。そんなこと言われなくたって分かってるのに、ほんとにうるさいなあ。
いい年した大人なんだから、それくらい理解してくれたっていいのに、ほんとうに古い人間なんだから。めちゃくちゃ窮屈だわ。早く家に帰りたい。
いちいち干渉してきて、もっと自由にさせてくれたっていいのに。何かと口出さなきゃ気が済まないなんて情けない。常に監視されてるみたいで気持ちが悪い。
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そんな風に思うことってないだろうか。
でも、今あなたが中学生や高校生ならば、100歩譲って大学生ならば、正しい反抗期の姿と言えるだろう。
しかし、大人になってそんな「愚痴」を言うならば、あなたはまだ親に親を期待している子どもなのかもしれない。
私たちは「こうあるべき」「これが正しい」というルールを「自立」の段階で持つ。
そうすると「そうじゃない」「間違ってる」状態が身の回りに氾濫するようになる。
これが反抗期と言われるもので、元々親を基準に作られたルールだから、当然のように親の態度にネガティブな反応が起きる。
それが大人になる、ということは、「こうあるべき」というルールは持ちながらも、「そうじゃない」考え方ややり方を「受容できる器」が出来ていく。
「まあ、そういう考え方もあるよね」
「そういうやり方もありっちゃ、ありよね。僕はしないけど」みたいに。
そして、多くの大人は「他人」に対してはそれができるようになる。
しかし、「身内」となると話は別だ。
近い存在だから「分かって欲しい」「受け入れてほしい」「見方でいて欲しい」などの「欲求」すなわち「依存心」が出てくる。
だから、親戚のおばちゃんがしてる分には受け入れられることも、当のお母さんがしていると許せないのである。
特にこの傾向は早くに自立した人に顕著に見られる。
なぜかというと「親に親を期待する」背景には「子ども時代に子どもをちゃんとやってない」事情があるエースも多いからだ。
だから、親の前ではついつい期待が溢れてしまう。
~してほしい。
~してくれないのはおかしい。
これくらい分かってくれてもいいのに。
なんで受け入れてくれないんだろう。
そんな愚痴が出てきてしまう。
社会ではそんな態度は取らないにも関わらず。
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「それってお母さんにできることなの?」って聞くと、たいていはハッとする。
ほんとうは知っている。
今まで敢えて「愚痴」って書いたのは、お母さんにそれができないことくらいとっくに知っているにもかかわらず、溢れ出てしまう欲求だからだ。
知っているのに、できないって分かっているのに、つい期待したくなる、求めたくなる。
手に入らないって分かっているのに、欲しくなってしまう。
それくらい私たちは親の愛に渇望しているのかもしれない。
でも、もう気付いた方がいい。
それは親に求めても過酷な要求に過ぎないことを。
いい年した人に無理難題を強いるのは酷であることを。
もちろん、親の代わりにパートナーを使えということではない。
(親に親を期待するように、パートナーにパートナーを期待する、という現象も存在する)
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内なる自分を救うのは自分自身の仕事。
それを誰かに任せることは難しい。
強烈な依存心があるから、もし、受け入れてくれる人が出てくると、だだだっとその人に行ってしまう。
自分を自分で抱きしめるのはちょっと違うと思う人もいるかもしれない。
だけど、自分で自分を愛することができて初めて人を愛せると知ったら、意外とやる気にならないだろうか?
もっとも親に親を期待している点で、愛されることに飢えているのでやはり抵抗があるのかもしれないが。
ずっと寂しかったよね。
よく我慢したね。
偉かったよね。
ずーっと一人ぼっちだったもんね。
ほんとうによく頑張ったよね。
偉いよ。
ずっと我慢してほんとうに辛かったよね。
よしよし、もう大丈夫。
もう安心していいからね。
ずっとそばにいてあげる。
寂しかったよね。
ほんとうによく頑張った。
そんな言葉を自分自身にかけてあげましょう。
できればおへその少し下、丹田の辺りに手を当てながら。
(その辺は第2チャクラと言って、インナーチャイルドが住まうポイントです)
※パソコンが修理中につき、変則的な投稿が続いております。