「頑張る教」の信者たち。

「自己嫌悪教」と並んで、日本人信者がとても多いのがこの「頑張る教」ではないかと思われる。

 頑張らないと成功しない。
 頑張らずに成功しても長続きしない。
 ぜんぜん頑張ってない自分はダメだ。
 頑張れない自分は幸せになれない。
 俺だって頑張ってるんだからいいだろう?
 ダメだったんだけど、頑張ったんだからきっと次はうまく行く。

そんな「教義」に従って生きていないだろうか。

「頑張る」というのは、例えば、東京から大阪に行くのに「新幹線を使う」というくらい、メジャーな方法の一つに過ぎない。
飛行機で行ってもいいし、バスもある。車でだって行けるし、自転車で行く人もいる。今、私の仲間は車椅子で京都から東京に向かってる。

それを「新幹線を使わないなんて人としてどうかと思う」とか「新幹線以外の方法何てありえない」とか「新幹線を使わないなら大阪に行く資格はない」などと言うのはちゃんちゃらおかしい。

「新幹線が好きだから新幹線に乗る」のはもちろんOKだ。素晴らしい。
でも、「新幹線に乗らなきゃいけない」のはどうだろう?おかしくはないか?

そう、頑張ってるから成功するわけでもないし、頑張ってるから人に尊敬されるわけでもないし、頑張ってるから自信がつくわけでもないし、頑張ってるから気持ちが通じるわけではない。

頑張ることは確かに素晴らしい点もいっぱいある。
充実感、情熱、道を切り開いていく喜び、力強さ、周りの人を巻き込んでいくパワー、応援を受け取れる価値であり、不可能を可能にしてくれるものでもある。
でも、逆に言えば、頑張らなくても、充実感は得られるし、情熱も感じられる。道は開かれていくし、力強さを湛えることもできるし、周りを巻き込むことも可能だ。

それは「手段の一つ」だからだ。

そして、自分の中にも時々発見して「ハッ」とするのだが、「頑張る」は都合のいい言い訳として使いやすいのである。

「仕事を頑張ってるんだから、家事をしなくてもいいだろう」
「頑張って働いているんだから、少しくらい怠けてもいいだろう」
「いつも頑張ってるんだから、たまにはゆっくりしてもいいだろう」

要は、家事をしたくないし、怠けたいし、ゆっくりしたいだけである。
その大義名分として、頑張ってる自分、を使っているだけである。
素直じゃないのである。
「今日は家事しない。だってしたくないもん」
「疲れてるから怠ける~」
「今日はゆっくりする~」
って言うことに罪悪感、背徳感を感じるから、「頑張ってるんだから」という言い訳をして自分を慰めているだけである。だから、してることは同じである。

また、「頑張ってるのにうまく行かない」「頑張ってるのに夫の気持ちが戻らない」「頑張ってるのに営業成績が上がらない」等の言い訳にもよく使われる。
手段の一つなんだから、それは理由にならない。
新幹線が雪で止まっているならば、飛行機を使えばいい。終電が発車しても夜行バスはそれからが本番だ。
手段は一つではない。

そう思うと、どこか「頑張る」が唯一無二の方法になっていないか?である。
「頑張る/頑張らない」の二元論で自分を判断していないか?である。
じゃあ、他にどんな方法があるの?飛行機に当たるものは何なの?と思った方はまさに「頑張る教」を長年信仰されてきた方である。
もちろん、私もその一人であることは言うに及ばない。
だから、私のセミナーには同志たちがよく集まる。

「頑張らないこと」を象徴して、「鬼畜生になる」とか「不義理非人情」とかを語るのはそのせいである。

鬼畜生になってみた途端、周りが優しくなり、人が援助してくれるようになり、話を聞いてくれるようになり、そして、とても楽になっちゃった、という報告をよく聞く。

「頑張らなくていいんですよ」と言われると肩の荷が下りる人は特に意識した方がいい。

「今、頑張りたい?」って自分に聞いて「おぉ!!」と返ってくるなら頑張ろう。
もし、「いや」ならば、手を抜こう、サボろう、頑張らないでいよう。

その罪悪感を保証するために「無理」するのはまったく意味がない。

とはいえ、「頑張って頑張らない」というのも変な話だ。

とりあえずは「なんだかんだ無理して、顔色伺って、頑張っちゃうのが私だよな~」って笑えるようになろうか。
そして、そんな自分を「偉いなあ」って思えるように、なってみようか。

頑張る教は相当根深くはびこっているので、そう簡単に洗脳は解けない。
鬼畜生、不義理非人情などは、聞いてなるほどと思ってもなかなか実践できない。

だから、まずは「サボる」ことをよくお勧めしている。
「やるべきこと」と思っていることを「敢えてしない」のである。
また、今、しんどいことはほとんど「頑張ってる」ものだから、なぜ、それをしてるのか?を自分に問うのも大事だろう。もちろん、「サボる」ためである。

堕落した日を創りましょう、って提案する。
「甘いものが好きなら、朝からホールケーキとかどう?しかも、手づかみで食べるの。そして、余ったら捨てるの」
「お酒が好きなら、朝食に瓶ビールを合わせてみない?朝からやってるカオスな居酒屋に出掛けてみるのもいいよ。もちろん、ジャージで」
「朝から温泉に行って夜まで帰ってこない。ひたすら湯に浸かって休んでを繰り返す。すべてのことがどうでもよくなってくるから」
「過去最高の買い物をするの。えいやっとお金を引き出して今日中に全部使っちゃう」

頑張る教の信者たちは頑張らない自分に罪悪感を感じ、頑張らないということが分からない。
だから「もう楽になっていい」という言葉は意外と響くことが多い。
どうだろうか?

※パソコン修理中につき、変則更新中です。