帰宅後のトレーニングと「うんででー」。



全然ためにならないお話。

仕事から帰ると3歳児になったばかりの息子が「パパーっ」と言いながら飛んでくる。そして、有無を言わさぬタックルをお見舞いしてくるのである。
同世代のお子さんをお持ちの方はきっと同じ思いをしてることであろう。
3歳児は何事においても全力なのである。

しかも、森のようちえんでふだんから山野を駆け巡って鍛えているその体はすでに3歳のものではなく、そのアタックや蹴りは相当な破壊力を有するのである。
ゆえに、家に帰ると早々父親は「イタッ」と言いながら、「防御の姿勢」から始めなければいけないのである。


さて、パパを「乗り物」としか認識していない彼は、私に服を着替える猶予も与えぬまま「だっこー」の声を連呼する。
そこで「いいかい、男ってのはモードの変換に30分くらいかかるんだよ?仕事モードからパパモードになるのにもうちょっと待ってくれないかな」などと、とある名著に書かれている文言を伝えても通じるわけがないので、いそいそと家着に着替えて最近13kgをオーバーした体をひょいと持ち上げるのである。

以前はこの後、「あっちー」と指を差してそのままキッチンの「お菓子置き場」に連れて行き、「これ、食べていい?」と晩御飯直前にもかかわらずお姉ちゃんのお菓子を食べようとするお決まりのルーティンがあった。

しかし、最近は新たな遊びを覚えたらしく(まあ、教えたのは私なのだが)、帰って来るなり「おうまさん、してー」と来る。
その声に反応して、今までipadでアニメを見まくっていた10歳の娘も飛んできて「お馬さん、してー」と乗っかってくるのである。

故に帰宅して3分後には、前に娘、後ろに息子を載せた父親が四つん這いになってリビングルームに登場するのである。

父親の威厳、尊厳などこの程度のものである。

妻も「パパ、お仕事で疲れてるんだから、少し休ませてあげなさい」と言ってくれるのであるが、顔は笑っており、むしろ、微笑ましいパパと子供たち(もしくは、いつも仕事やら飲み会やらで好きなことばかりしよって、ざまぁ、見やがれ)の風景である。

当然、そんなママの言葉は発する傍から無視されており、その後、パパは、お馬さんごっこから、お馬さんのままの追いかけごっこ(息子がはいはいで逃げ、娘を乗せたパパがお馬さんのまま追いかけるトレーニング。背筋腹筋にとてもよく効く。)をし、「まてー、まてーしてー」(娘をおんぶしたまま息子と追いかけっこをするトレーニング。足腰にとてもよく効く)とハードなメニューをこなすのである。

しかも、仕事の日のパパは少食なので朝からほとんど何も食べておらず、空腹極まりし時なのであるが、そんな事情など考慮されるわけもなく、ただひたすら家中を追いかけっこしてママに「いい加減にしなさい!」と怒られるのである。

もちろん、その声も無視されるわけで、パパとの肉体的遊びは延々と続く。そんな無限ループを抜ける手立てが「晩御飯」であり、「じゃ、パパ、何か作るわ」とキッチンに立つことでその状況を抜け出すのである。
もちろん、この間、私は1分たりとも椅子には座っていない。
その結果、我が家の晩御飯の最後の一品は大義名分から作られることが多い。

もちろん、何か作っているときも三歳児のパワーは計り知れず、包丁を握っているのに「抱っこ―」としがみ付き、「ぼくも切るー」と言い出したり、キッチンに並んだ料理を勝手に食べだしてママに怒られたりするのである。

そんな三歳児はよくしゃべる。
私は母、妹1号、2号、妻、義母、娘等、よくしゃべる人々に囲まれて育った大人しい男子なのであるが、彼はその血を見事に引いているらしく、よくしゃべる。
その舌っ足らずなしゃべりはものすごくかわいいのであるが、何を言ってるかはよく分からない。(その点、姉が通訳を果たしてくれることも多い)

そんな彼の言葉で一番のヒットは「うんででー」である。

自立心の芽生えた三歳児が発する「自分でー」という意味であるが、その言葉を聞くたびに我々は癒されるのである。

ご飯を盛ったり、食べさせようとしても「うんででー」。(そしてポロポロこぼして怒られる。)
お風呂に入るときに服を脱がそうとしても「うんででー」。(結局脱がずに遊びまわっていて怒られる)
お気に入りのDVDをセットする時も「うんででー」。(DVD並びにテレビが手の油でべたべたにして怒られる)
お菓子の袋を開けるのも「うんででー」。(なかなか開けられず泣く)

そんなこんなでばたばたしながらあっという間に寝る時間になる。(根本家は朝型生活なので、基本、夜は早い)

パパは乗り物兼遊び専用なので、寝かしつけはママでなければダメであり、「パパ、あっちいってー」など身分をわきまえぬ発言も後を絶たない。
娘は最近、ようやく一人で寝るようになったのだが、その際は息子の体よりも大きい“チビトラ”のぬいぐるみがお供である。
そうして、ようやく寝付くと「寝顔はすごくかわいいのにね」という会話をし、「パパの健康はこうして保たれているのかもしれない」と自分を納得させつつ家の灯りは落とされるのである。

我が家の暴君。

日々のミニコラム


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