「息子との友情の物語」


どうやら息子の目は画像認識ができるようになったようで、パパの顔を見ては笑うようになった。
別に顔が変だから笑うのではなく、嬉しいから笑うのである。(そう願っている)

それまでは娘への反応が最もよく、続いて妻、そして、離された最後尾に私、という序列であったので、何はともあれ、彼に私を家族の一員として認めてもらえたのはめでたいことである。
もっとも、この愛想の良さは他人を見ても満面の笑みで笑うであろうから、しばらくは人には合わせないようにしようとも思っている。


また、寝返りも余裕でできるようになり、気がつけばごろんと回って首を持ち上げ、疲れてくるとウーウー声を上げて苦悶の表情をしている。
まだ元に戻るにはどうしたらいいのか分からないようで、周りの手を借りてはごろんと元の仰向けに戻され、しかし、飽きずに再び寝返りをして、しばらくするとウーウー苦しそうなのである。

ところがこの間、勢いよく回ったが故に、そのまま1回転してしまい、再び天井を仰ぐ、という事象が発生した。
つまり、うつぶせになるはずが、仰向けになってしまったのである。

これは笑える。

しかも、本人は本来は床が見えるべき場所に天井が見えるわけで、少なからずパニクっており、瞳孔を開いたまま、意味不明の唸り声を上げていた。

ぜひ、このシーンをビデオに収めたかった。
辛いとき、疲れたときに、見ればすっかり癒される映像が出来たはずなのに。

また最近はバタフライに凝っているようで、寝返りを打った跡に、手足をバタバタさせており、きっとこのまま水に浮かべたらいい泳ぎをするんじゃないかと思わせるほどである。
ま、少なくともこいつが匍匐前進を始める日もそう遠くなさそうである。

さて、父親と違って愛想抜群の息子は、睡眠が足り、お腹が満たされているときは大変ご機嫌がよく、ほっぺにぶちゅっとしただけできゃっきゃ笑ってくれるのである。

これはほっぺフェチにとってはたまらない時間である。

少々ヨダレでべったりになっていることはあるものの、ふくよかなほっぺにぶちゅっとすると、奴はニコッと笑って喜んでくれるのである。

これはかわいい。たまらなくかわいい。

娘はとても小さく、強く触れようものなら折れてしまいそうな感じだったので、ほっぺにぶちゅっと遠慮なくできるのもだいぶ大きくなってからであり、その頃には、ブチュの後に堂々とほっぺをぬぐわれて若干寂しさを覚えたものである。

しかし、まだ6ヶ月になったばかりの息子は誰が見ても大きく、堂々としているので、遠慮なくぶちゅし放題である。

これはほっぺフェチにはたまらない環境である。

しかも、男同士であるので遠慮はいらない。
息子が生まれて気付いたのであるが、やはり異性である娘には少なからず気を使っていたのである。
もちろん、か弱く、折れそうだから、というのも、初子でより慎重になっていたこともある。
がしかし、「娘はいずれ父親を嫌いになる」とか「いずれ口も聞いてもらえなくなる」という話を職業柄散々耳にしているせいで、かなり臆病になっていたのだと思う。

だから、どうしても「嫌われたくない」と言う心理が働くのである。
ま、妻が機嫌を損ねることを承知で言えば、いわば“恋人に対して感じる気持ち”であろう。
実際、ほっぺを吸うにも、抱っこするにも、手を繋いで歩くのも、どこか、娘のご機嫌と、妻の視線を気にしている自分がおり、二人で買い物に出かけたりすると、嬉しいのと同時に、どこか不倫の背徳感を感じて周りの視線を気にしちゃったりするのである。
だから、良くも悪くも娘との間にはどこかしら緊張感が漂っている。

一方、息子は男同士であり、そのような心遣いは不要というより不遜であろう。
よって、堂々と顔を近づけ、至近距離にて吸い応え十分のほっぺを味わうことができるのである。
しかも、娘のときと違い、妻の視線も気にならない。決して、その行為は“浮気”などではなく、男同士の熱い友情だからである。

そういえば、以前、今は亡き親友と彼のボロアパートで良くじゃれていたことを思い出した。何かあればお互いの弱点である脇腹を責め、どちらかがギブアップするまでひたすらくすぐり合っていたのである。
お互い強情であるから、相当息が切れるまで争いは続き、大家・隣家・同席していた友人達から苦情・叱責・呆れ顔を散々頂いて漸く平和協定が結ばれる次第であった。

もちろん、我が乳児はまだ私に対して反抗する意志を持たない。たまに、偶然、髪やメガネを掴んでヒヤッとさせる程度である。
しかし、彼を抱っこし、膝の上に立たせ、あるいは、添い寝しているときの安心感や喜びは懐かしいような、嬉しい感覚に満たされているのである。
何ら、気にすることなく、遠慮することなく振舞える自由さである。

そんな彼もやがては自分の意志を持ち、パパよりはママや姉や女の子が良くなっていくだろいうと思う。
それはそれで健全なことであるし、むしろ、奨励する。
しかし、時には男同士、気の置けない付き合いをしたいものである。

とはいえ、俗に言う、一緒に酒を飲みたいとか、そんな遠い未来のことは考えられないし、想像もできない。
とりあえず、数年先、うちの女の子チーム(娘が命名)が「何であんなものが面白いのかわからん」という遊びに男の子チームで夢中になっていたい、という程度である。

なぜ、先のことが考えられないかは私の出自による。
私の父と最後にあったのは18歳の時で、その何年も前から一緒に暮らしてはいなかった。前述の親友も高校時代からの付き合いだが、蜜月の時代は短く、20代始めに勝手に逝ってしまった。

それがトラウマになったのか、以来、男友達と深い関係を築くことをどこかで怖れ、一定の距離を保つようになっていた。だから、男友達と絶えることなく長期的に近い付き合った経験を私は持たないのである。
そして、私の興味は女性へと向き、女ったらしだの、浮気性だのと言われるようになっていたのである。

それがここ数年、男同士で小汚い飲み屋を徘徊するのが楽しみとなり、気の許せる友人も不思議と急に増えた。昔からの友人とも急に距離が近づいて、気の置けない付き合いをするようになった。

だから、子どもが出来たことがわかったとき、直感的に、息子に違いないと思ったくらいである。

そういう風に考えれば、数年前からの不思議な潮流があって、息子の誕生へと結びついているとすれば、この子は相当な準備を生まれる前から私にさせていたことになる。

そして、その源流は言うまでもなく父親であり、その親友であり、当時から付き合いのある古い友人達であろう。
そう思えば、息子との出会いは彼らがもたらしてくれた恩恵とも言え、感謝の気持ちで胸がいっぱいになってしまった。

だから、無理を承知で思ってしまう。
できれば、親父の腕に息子を抱かせてやりたかったなあ、と
できれば、親友に息子を自慢したかったなあ、と。

息子が生まれて、心残りと言えば、それに尽きるのである。

しかし、それが叶わぬ分、時に親父になったつもりで抱っこし、親友が傍にいるが如く自慢し、古い友人達にこの子を抱かせ、今の仲間達にこの子を自慢し、この男同士の絆をより深く結び付けたいと思うのである。

そうして、女の子チームからは「ふん、男同士って変よね」との視線を浴びられれば本望である。

 

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