冤罪。



先日、面談カウンセリングを終えて休憩のため控え室に戻ると携帯が点滅しつつメールが届いたことを伝えてきた。「お、なんやろう?」とちょいワクワクしながら携帯を開くと、

「車の鍵がないんだけど?」

という明らかに【怒】の念が込められたメールが妻から届いていた。

ヒヤッと冷や汗が走り、ジャンパーのポケットやかばんの中をあらかた捜索し、ブツが無いことを確かめて電話をかける。

私:「僕のところにはないんだけど・・・。その日着てたジーンズとかジャケットとかを見てくれない?」

妻:「うん。見た。けど、無い。」

私:「えーっと、この間の日のかばんは?」

妻:「一応、あちこち見たけど、無かった。ほんとにそっちにないの?」

私:「うん。ないねん。ちゃんと探したけど」


そこでハタと気がついたことがある。

お互いの中で「こういう事態が起これば、犯人は夫」という図式が妻の中はおろか、私の中でも成立していることである。

つまり、「鍵が無い」となれば、なくしたのは私であり、それはどこかに置きっぱなしにしている可能性が高い、という推測が暗黙の了解で成り立っているということである。

さすが、夫婦・・・という話ではない。残念だが。

実は私、前科者である。
実際、カウンセリングに来る際に寝ぼけてたのか、単純な間違いなのか、車の鍵を持ったまま出勤したことがあるのだ。

その際も、車が必要で妻にお小言を頂戴した経緯がある。

そもそも、私(と娘)は色々とモノを無くす趣味がある。
妻がきっちりしてくれているお陰で我が家は物持ちが良い家庭なのであるが、私(と娘)は散らかすのはもちろん、破損並びに紛失がとても多い。

だいたい何かの折には「なあ、理加。俺の○○知らへん?」「えーっ、知らないよー」「ねえ、ママ、みずちの○○がない!知らない?」「えーっ、知らないって。何、この親子。たいがいにしてよ。」との会話が日常的に流れているのである。

きっと、このブログを密かに愛読している我が母殿も、「ほんとにこの子ったら、昔から何も変わっていない・・・」と恥じ入っていることと思う。

私、きっちりしているように思われることが多いのだが、実にアバウトかつ大雑把なところがあり、その部分を知っている友人・知人は「お前がA型だというのは絶対に間違ってると思う。良くてO型だ。」と口を揃えて言うのである。

さて、車の鍵は私が仕事を終えて帰宅後も見つかっていない。
紛失物について私はけっこう鷹揚なところがあり、「ま、きっと見つかるだろう。どこかから出てくるだろう。」とかなり楽観する癖がある。
だから、「ま、そのうち出てくるんじゃない?」と発言したりするのであるが、ハナから私が犯人と決め付けている妻は「お前がそんなことを言えた立場か」とのオーラを全身に纏うのである。

因みに、ふだんママから「あんたはほんとにだらしがない!」との叱責を日常としている娘はここぞとばかりにパパを攻撃する。

「ほんとにパパ、どこにやったのか知らないの?ママ困ってたよ。いつもちゃんと元の場所に戻しとかなきゃダメって言ってるでしょ?ほんと、どこやったの?」

おいおい、最後の一文はお前がいつもママから言われてる言葉だろ、との言葉を飲み込み、再び我が私物を捜索する。ジャケット、ジャンパー、かばん、机の周り等々を捜索するも見つからない。

おかしいなあ、と周りを見回したとき、ふと、あることを思い出した。

「あのさ、そういえば、その日さ、買い物の荷物がたくさんあって、俺、両手にかなり重たいスーパーのビニールぶら下げてたよね。だから、(機械式)車庫の扉閉めたの、理加じゃなかった?」

「えっ・・・?そうだった?でも、私もカバンとかコートのポケットとか調べたけど無かったよ」

しばし絶句しながらも言い訳をする妻。しかし、こういうとき、女子は平然を装うのがどうしてこれほどまでにうまいのだろう?だからって、犯人はあなたでしょ?のニュアンスを変えない演技力は見事である。内心はきっと「ヤバッ」だろうと思われるのだが。

そこで、決して彼女の自尊心を傷つけないようにしつつ、「じゃあ、まさかと思うけど、駐車場見てくるよ」と一人出かけることにした。

私たちの住むマンションは機械式の駐車場が備え付けられており、各戸に配られた共通の鍵を操作盤に差し込んで自分の車を取り出す仕様になっている。

実は以前も車を入れた際に、操作盤から鍵を抜き忘れ、管理人室に届けられたことがあった。(もちろん、犯人は私)

果たして、その操作盤の上に、見覚えのある我が家の鍵が置いてあった。
おそらく、妻が抜き忘れ、それを次に駐車場を使った人が親切にも、鍵を抜いて、その操作盤の上に置いてくれたのだろう。
そうすると2日ほど、その場に放置されていたのであるが、つくづく日本は平和な国だと思えた。そして、私たちが暮らすマンションにはとても親切な人が住んでいるんだなあ、と感じられた。

さて、その鍵を持って自室に戻る。
妻は「まさか無かったよね」と真っ先に尋ねる。娘も真似をして「ねえ、パパどこやったの?無かったんでしょう?」と嫌味を言う。

正直、そのときの私は、とても気分爽快であった。
「くくく、見ておけよ、もし、事実を俺が発表したら、お前らはどんなツラをするんだろう?」などとほくそ笑んでいたのである。

そして、おもむろに鍵を取り出し、「あったで。操作盤の上。」
もちろん、そこで「理加が忘れたみたいよ・・・」なんて嫌味は口を避けても言えない。

「えーっ!良かった!忘れてたんだね~。親切な人っているんだね」と妻。
「パパ、えらーい。」とはしゃぐ娘。

私は、待った。「ごめん。疑って悪かったわ」という一言を。「パパは悪くなかったんだね」という一言を。

しかし、その後、発せられた言葉はさすが、であった。

「だってさ、いつもの行いが悪いのよね。いつも、パパだもんね。」
「うん。いっつもパパが無くすもん。ママは珍しいね。悪くないよ。」

なにその結束力。何調子乗ってんの?娘。

前科者は辛い。というか、大いなる冤罪である。
その変わり身はさすがというか、素晴らしいというか、であろう。

しかし、そもそも、この家族に安寧を感じる私はドMということなのだろうか?


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