間違いなく親子だ。



9月である。
9月と言えば私が生まれた月であり、一週間もしないうちに一つ齢を重ね、38歳となる。9月といえば乙女座であり、血液型はA型である。

こうした自己紹介には、ほぼ確実に「えっ!?」という心地よい(?)反応が返ってくることが多い。

「ええー、根本さんが乙女座~?」と訝しげな、そして、若干好奇な目を向けられることもあるし、「A型?え?ほんとうですか?B(or O)だと思ってました・・・」と言われることも少なくない。

ま、イメージと実像が違うのはネタとして面白いので許すことにしている。


さて、そもそも私は20代の頃には30代半ばに見られ、30代半ばに差し掛かれば40代に見える貫禄の持ち主らしい。堂々とした物腰、と言えば聞こえはいいが、要するに早くから見た目も行動もおっさん化しており、若々しさには徹底して欠けているということなのだろう。

最近も40代に見られることも多いが、「やっぱりね」と比較的年相応に見られることも増えてきた。「ついに見た目に年齢が追いついてきたか!」と快哉を叫ぼうと思ったが、あと2年で実際に40歳になるわけで、要するにそれだけおっさんが板についてきただけなのかもしれない。

昔から「老け顔は年が行くとかえって若く見られる」と巷間言われるので、そうなる日は今か今かと待ち受けていたのであるが、どうやら、私の場合は、なかなかその貫禄に実年齢が追いつかないシステムになっているようである。

さて、自分の誕生日というのは「おめでとう」を言ってもらうというのが一般的ではあるが、私の場合、さらに産んでくれた親に感謝をする日と勝手に思っている。なんせ、今日、ここに自分がいられるのは親が居てくれたお陰であるし、変な話、今の自分を承認できていなければ親に「産んでくれて有難う」とはとても言えない。
そういう意味で、親に感謝の気持ちが持てる、というのは色んな意味で大事なのである。

せっかくなので、感謝の気持ちを込めて今日はそんな私の親の話をしたいと思う。

そう言いつつも、いきなり話は飛ぶ。
夏休みも昨日を最後に終わったのだが、最近の小学生は忙しいのである。我が娘も学校のプールに行ったり、英会話スクールのキャンプに行ったり、各種友達と遊んだり、地元のお祭りに行ったり、そのスケジュールはかなりタイトであり、また、宿題も多く、風邪を引いたりもして、何だかんだあっという間の1ヶ月半であった。

さらに、我が家には「パパの出張」という月の3分の1を占めようかというイベントが常に発生しており、故に、私の実家に帰省する機会が今年は作れなかった。

ここで、余談をひとつ。
先日、我が家に原の奥さんと子供達が遊びに来てくれた。そのとき、娘と原の息子が一緒に「出張ごっこ」をして遊んでいたのである。「今から東京へ出張なんですぅ」「私もなんですぅ。一緒に飛行機乗りましょ!」とか言いながら子供用のキャリーバックをごろごろ引いていたという。
我が家と原家はほぼ境遇が一緒であるから、子供同士も妙に気が合うのかもしれない。
「それにしてもマニアックな遊びだ。他の家では通用しないに違いない」と妻同士は頷き合っていたらしい。

さて、毎年恒例の、実家に帰省イベントが発生させられなかったので、裏技として私の母殿が来阪することとなった。「親に感謝とか抜かしておいて、呼びつけてるのか?」というご意見はごもっともである。
そして、母殿は都合2回に分けて数日間滞在し、のんびりするどころか、あれこれと世話を焼いてくれたのである。

妻がちょっと体調を崩していたせいもあるが、「なんかじっとしてられなくてね。私にも何かやらせてよ。」とか言いながらご飯の用意をしたり、洗濯やアイロンがけに精を出す母であった。

そんな母を見て、妻が一言。「さすがは親子ね。ほんとそっくり。」

また、ある晩のこと。
私に似ず食が細い娘は、お皿にはまだおかずが残っているのに、「もう、お腹いっぱい。ごちそうさま、する」と遊びだしてしまった。

そのとき、うちの母は一言、
「何だか残すのもったいないね。食べちゃうわ」
と、おもむろに娘の残り物に箸を伸ばすのである。

それを聞いて私は、妻が言うより先に痛感した。

「ああ、自分は確実にこの人の息子なんだ」と。

というのも、私も基本、そう思ってしまうのである。
残すのは勿体無い、出されたものは全部食べる、をポリシーに、レストランでも、打ち上げの席でも、気がつけば残飯処理班のようなことをしていたりする。

しかし、皆さんもお気づきのようにこのポリシーには大変なリスクが伴うのである。すなわち、他人の残した皿に手を伸ばすということは、必然的にカロリーは積みあがるわけである。結果、その余計な一口が腹の脂肪となり、健康診断で「おやおや、体重が全然減っとらんじゃないか」と馴染みのドクターに言われることとなるのだ。

さて、妻にそんな話をしたら、くすくす笑いながら「他にもいっぱいあるじゃん。私に言わせれば瓜二つなところだらけよ」と言うのである。

何だかバカにされたような気がしたので、「具体的には?」という質問は飲み込み、せっかくなので、うちの母をしばらく観察してみることにした。
すると、妻は決して「バカにした」のではなく、単に「冷静なる観察の結果」であった。

まず、うちの母もたいがい落ち着きがない。
あまり体が丈夫じゃないくせに、常に動き回り、勝手に家事全般を手伝ってくれたりする。
しかも、普段私が放置している(=脱ぎ散らかしている)、私のクローゼットもきれいに整頓してくれたり、自分のやり方で洗濯物をたたんで収納してくれたりしてくれる。
有難いのであるが、「その方がひろちゃん喜ぶと思って。ね、これでいいでしょ?」とのうのうと言ってのけるのである。

確かにうちの母親は確かに人の領域にずけずけと入り込み、我が主張を押し売りするのが得意なタイプである。
そういうと酷い人に思えるが、言い方を変えれば過保護なほどに愛情深く、また、自分(の愛情)に自信を持っている人なのである。

うちの妻は気遣いの人なので、なかなかそこまで入り込んではこない。もちろん、妻の母も同じような気質を有しているように見え、とても配慮の人である。

そう思えば、私の愛情表現は確かに母譲りである。
根拠はないのだがなぜか自分の愛情には自信があるので、「これでいいのだ」と思ってしまいがちであり(それは典型的な押し売り型の愛情を示す人が思うことで、よく愛情に胡坐をかいてしまう傾向がある)、同時に自分もそういう若干過保護的な、お節介な愛情を好む傾向にある。
故に、妻のような優しく、見守るような愛情や、相手の気持ちに配慮したさりげない愛情表現を、その愛と認識するのには非常に年月を要することとなり、「ほんとに、鈍感男!」の称号を頂戴しているのである。

さて、そんな自信があるので、我が家の騒動のとき、すなわち、父が勝手に旅館の経営に乗り出したときや、離婚したときなどは、「父がいなっても、母は僕がいるから、そんなに寂しくないはずだ」と勝手に思いこんでいた。

もちろん根拠はないが、今思い出しても赤面ものの昔話ではある。

さて、そんな風にあれこれと似たところを目の当たりにすると、やはり自分はこの人の子どもなんだなあ、と思わざるを得ないのである。

もちろん、どの親子も多かれ少なかれ似ているところがあり、それは加齢と共に顕著になる。

だから、うちの妻とその母もとてもよく似たところが多い。
子どものあやし方、叱り方などはそっくりであるし、料理の味付けや人当たりの良さなどもよく似たもの同士である。
それで、うちの妻の前で私が気を緩められるように、妻の母の前でもつい気を緩ませてしまっている。故に、妻の実家は私にとっては居心地のいい場所であり、ついつい「この家の主」が如く寛いでしまうのである。

また、妻とうちの娘を見ると、顔やスタイルはよく似ているし、仕草にもそっくりなところがたくさんあって笑えるほどである。おそらく、内面的にも似たところはたくさんあり、「確かに親子」と思わされることがたくさんある。

因みに、娘が私に似ているのは、その落ち着きの無さと、耳の形、そして、足の指くらいであり、肉体的には不思議とマイナーな箇所ばかりである。

さて、やはり親子なんだなあ、と実感した日々も終わり、母を新大阪の駅まで送っていった帰りのこと。

「おばあちゃんが帰っちゃって寂しいね?」って娘に言うと、「うん。寂しいね。今度会えるのかな?」と言った後、「でも、パパはみずきがいれば寂しくないでしょ?」と、さらっと言ってのけたのである。

思わず天を仰ぎ、そして、「間違いなくこいつは僕の娘だ」と感じた瞬間であった。


あわせて読みたい