「娘が苦しい恋愛にはまりませんように・・・」(麗しき親心)



まむぅー(嫁)に、ぱぷぅー(僕)のお腹を我が物のように差し出す娘は、

「ぱぷぅーがいないときにはぱぷぅーが一番(好き)でー、ぱぷぅーがいるときには(香取)慎吾ちゃんが一番(好き)なのよー」

とほざいていおり、“目の前にあるモノを受取れない(愛せない)”パターンを持っているのではないかとカウンセラーとしては分析してしまうのである。


今日も東京出張から帰ってきて、「ぱぷぅ~はミズチに会いたかったよぉ~」と抱きつくと(これが正しい「ただいま」のあり方だと思う。ぜひ娘には学んでいただきたい。)、「ぱぷぅーが帰って来たから、慎吾ちゃんが一番なのよ~」と押し返しよった・・・。
そして、さりげなくぱぷぅ~のチューが付いたほっぺをぬぐい、あてつけのようにファンクラブの会報(慎吾ちゃんの写真のページ)を私に見せるのである。

私はちゃんと彼女に会うために予め食塩泉の湯に浸かり、サウナでたっぷり汗をかき、水風呂で身を清めてきた。にも関わらず、そうした態度を取られると、打たれ強くなったとはいえ、我がハートもやはり少々痛みを禁じえない。

いや、なにも慎吾ちゃんに嫉妬しているわけではない。私が心配するのは、将来彼女が“遠距離恋愛”にどっぷり嵌ってしまわないか、という点である。なぜなら、目の前に居る人ではなく、遠くの人を愛そうとするパターンは、好きな人を遠くに置く恋愛をして苦しんだりしないか?と深読みしてしまうのである(職業病ともいう)。
しかも、彼女の母親はかつて太平洋を挟んだ遠恋を経験しており、その素質は十分持っていると推測される。

もちろん、遠恋が悪いわけではない。しかし、そのパターンが身に付くと、心の中では「パートナーは遠くにいるもの」となり、結婚と同時に大問題が発生する確率が高いことは、過去のカウンセリング事例からもよく分かっている。

さて、このパターンをそのままにしておいたら将来、恋愛に苦しむのではないだろうか・・・それは忍びない・・・。はてさて、娘のその(想像上の)窮地から救い出すにはどうしたらいいものか・・・などと考えていたら突然、福音が降りてきた。

なんだ、単に恥ずかしいだけか・・・。

解決!(笑)

しかし、やはりセラピストであり、トレーナーでもある職務を生かし、彼女のそのパターンを癒してやらなければならないと思うのである(これも職業病)。

要は「目の前のものをきちんと愛せる私になる」セラピーから「恥ずかしさを乗り越える」セラピーへの変更であり、癒さなければいけない問題があるのは事実なのである。

幸い私の得た情報によれば、先ほど来、奴は既に眠りに入っており、少々のことでは起きないはずである。よって、密かに近付いて思い切りほっぺを吸ってこようと思う。

これは決して父親の暴挙並びに一方的な愛情ではなく、直球勝負のセラピーである。

さて、結果は非常にうまく行った。大変美味であり、そのできたての羽二重餅のような、程よい弾力を持ったほっぺは私の旅疲れを温泉以上の優しさで癒してくれた・・・。

・・・と、ここまで書いて再び福音が降りてきた。

目の前のものを素直に愛せず、恥ずかしがっているのは、他でもない私自身ではないか・・・。

出張などで家族との距離が生まれるたびに、その有難みを噛みしめ、感謝の念を新たにしている。でも、それを普段の日常生活できちんと感じ伝えているかと言うと、やはり十分とは言いがたい。だから、ちゃんと向き合わなければいけないのは私自身の方なのだろう。

“投影”とは怖ろしいものである。
ついつい嵌ってしまった。罪のない娘のせいにして、自分を正当化するところであった。
気付いてしまったのだから、できるだけ早い時期に娘に侘びを入れ、自らを癒すのが賢明であろう。

よって明日は起きている娘を正面からぎゅっと抱きしめ、ほっぺのみならず、あちこちに我がちゅー(愛情)を送ることに決めた。自分を癒すためであるから、少々の痛みは覚悟しなければならないだろう。しかし、それを乗り越えるコミットメントがあれば必ずや、そのパターンを手放すことができるはずである。

さて、まずはその予行演習として、寝てる娘にもう一度近付いておくことにしよう・・・。

#なお、この記事は彼女が思春期を迎えるまでの限定公開となります。

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