表現とコミュニケーションについて



ちゃんと説明しようと思えば回りくどくなってしまい、
えいやっ!とやってしまうと言葉足らず。

カウンセリングというのは、コミュニケーションの場でもあるんですが、そうした葛藤というのは、いつも抱えているものです。

表現というのは大変難しいものがありまして、僕も結構言葉足らずになってしまうことって多いんです。


とはいえ、こうして文字にする時には、正確性を意識しすぎて言葉に言葉を重ねてしまうことも少なくありません。

ある面では分かりやすく、ある面では「げぷーっ」て感じかもしれません(笑)

幸いブラインドタッチには学生時代から慣れ親しんできましたけど、だからと言って気持ちがうまく表現できるわけではありませんよね。

かつては「うーん、これってどういう表現が良いんだろう?」って散々画面の前で悩んだものです。
それは、まあ、未だにありますね。

言葉によるコミュニケーションの場合、リアルタイムに反応する必要がありますね。
大阪人ではないですけど、大阪に身を置いている者としては、一応、
「ここはボケるべきか?それとも普通に流す方が良いのか?」
という判断を常に求められているような気がするものです(笑)

小さいころからそうした環境に育ってる大阪人はすごいですよねー。
大人しい人でも、その辺が“反射的に”身についてる人が多いですもの。

うちの奥さんも、のんびりしてたり、おしとやかなイメージを振りまいてるんですけど、やはり中身は大阪人でして、言葉の言い回しや発想はとても笑えるものが多いものです。
先日もちょっと実家に帰ったときに電話で、
「深希は『何があったん?』って言うくらい、ちょこまかちょこまか動いててなー。でも、その頃、ママは意識不明やって、(深希にとっては)いらん人になっててんけどなー。ほんでなー・・・」
という調子です。

漫才師やうちの師匠のように立て板に水の如く面白おかしく話す人もいれば、うちの奥さんみたいに“はんなり”面白いことを言う人も多いんです。
ちなみにうちの奥さんは「名付け名人」でして、色んなものに変な名前を付けるのが得意です。

そういう人は勢いある人に押されてあんまり自覚はないんですけど、結構面白いことを言ってたり、やってたりする人は多いです。

話が逸れました。

昨晩、「言葉足らず」ってタイトルを思いついてコラムを書いてたら、突然パソコンが落ちまして、「これは、今日は書くなってことなんかな」と解釈して、そそくさとベッドに入ったんです。

代替機ですから、少々性能が落ちるのはいいとして、突然、画面が真っ暗になるのは・・・心臓に悪いですね・・・。

せっかく名文をしたためてたのになあ・・・(←逃がした魚はでかい、という例)

再び、本題から話が逸れてました。

言いたいことを表現する、というのは誰でも苦労するものかもしれません。
苦手意識があると、何かを話す、書くって思うだけで頭が真っ白になってしまうでしょうし、面倒くささが勝てばむっつり黙り込んでしまうこともあるでしょう。

ケンカの時、よく何も言えなくなるのは「何をどう表現すれば良いのか分からない」というときですね。

心で感じてることを頭で認識して、言葉を付けて(ラベリング、ラベルを貼って)、声に乗せるわけですから、実際発声するまでには大きく2段階を経てるわけです。
頭で認識できなければ、感じていても感じてないことと同じになってしまいますし、何を感じてるのかが分からないと表現しようもありません。
また、感じてることが頭で分かっても、それに合致する言葉が見つからなければ、やはり表現するのは難しくなります。

そのプロセスはほんと繰り返しトレーニングするしか無いのかなあ・・・とも思います。

一般的に男性は「感じること」が苦手で、女性は「言葉を選ぶ」のが苦手な場合が多いようにも思います。
それで男性は正論を、女性は感情論を言ってしまいやすくなるんでしょう。

両方がうまく行くと自然に感情も流れていきます。
でも、感情は感じてるだけ(認識してるだけ)でも、十分解放されていくようです。

いや、むしろ、言葉にならない気持ちの方が重要な場合も多く、表現しようと頭を動かすよりも分からないなりに感じ続けているのが大事です。
表現しようと考えてしまうと、感じる方に意識が向かなくなるものですから。

カウンセリングで初めてお話しするときに、何をどう話して良いのか分からなくなる方や感情が先立って涙が出てきたりして話せないことを気にされる方がいらっしゃるかと思います。

カウンセリングって言葉だけでやり取りするものではありませんから(メールカウンセリングは別ですけど)、ただ、そこに居てくれるだけで良いんですね。
特にお会いしてる場合は、言葉以外にも、表情、目線、声のトーン、姿勢、呼吸、雰囲気などあらゆるモノでコミュニケーションしてるわけですから、むしろ、言葉を封じてしまった方が落ち着く場合もありますね。

それに何を聞いたか?話したか?よりも、心の状態の方が大事ですよね。
どんな素晴らしいことを教えてもらったとしても、「あいつの態度、なんか気に入らない」って思ったら、その内容は覚えられないでしょう?
たくさん話が出来たとしても、ずーっと緊張しっぱなしな雰囲気だったら、後味悪いと思うんですよね。
地に足が着かないような感じで。

逆にあまり話ができなくても、心がホッとしていたり、将来に希望が持てたとしたら、そこは良い場所になると思うんです。

僕がカウンセリングの時に特に気をつけてるのが、そういう雰囲気作りです。
時間が許せば、際限なく話し続ける僕ですから、その内容を全部覚えてくれ!なんて思いません。
印象に残ったことだけを後から思い返してもらえたらいいんです。
きっと必要なものが残るはずですし、時を得ればまたその他の内容もふっと思い出されることでしょうし。

最近は「特に何もなくても、また来てもいいんでしょうか?」て聞かれることが増えました。
何か居場所のような安心感を持っていただけたのかな?とホッとする瞬間です。


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