10月下旬、私の体は仙台空港にあった。というのも、9,10月は何だかスケジュールが詰め詰めで、朝ホテルで目覚めたとき一瞬自分がどこにいるのか分からなくなるときがあった。
この仙台出張も東京から帰って中三日での旅であったから無理もあるまい。
ちなみにこの仙台から帰れば、中二日で東京に舞い戻る。ゆえに、仕事用のスーツケースは仙台から東京に向けて発送されている。
さて、今回は4回目の来訪である。先方がどう思っているかは別として4回も来れば私の体は彼の地に馴染む。街の地理も何となく把握し、繁華街の構成がだいたい頭に入ってくる。それは地図を見なくても、おおよその感覚でホテルから駅に行け、セミナー会場から国分町へも案内がなくても自然と足が向くようになっている状態である。そして、「それは広瀬通側ですか?あ、逆の定禅寺通に向かう道ですね。三越までは行かないあたり?」程度の会話はできるようになり、「アーケードの東側の、東一市場はヤバい店が多いが、一番好きなのはやはり稲荷小路」と地元の人もちょっと引く呑み屋情報を提供できるようになっていたりする。
今回は空港に迎えの車が来てくれているという好待遇から始まり、お勧めの「はらこ飯」を頂く幸先の良さであった。
イクラと鮭の親子丼、なのだが、ご飯が炊き込みなのである。
これはヤバい、旨い。
東北・仙台の奥深さをいきなり喰らった。
正直、空港は震災の象徴的な地域の一つであるから、街に向かう車窓の景色は一種独特のものがあり、口には出さずとも色々と感じるものがあった。
「ここは前は家があったところ?」「いや、ここは元々田んぼでした。2,3年は塩害で使えなかったみたいですが、今はお米が穫れるみたいですね」
時代は確実に流れている。そこに呑みこまれるだけではいけないと、この景色は教えてくれていると思う。
3日間の行程はつつがなく済んだ。
途中、空腹に耐えかねて優雅な喫茶店で美味しいケーキを食べた。この店はほんとうに良かった。
カウンセリング終われば、夜の街に飛び出して出会いを楽しんだりもした。
ふらっと気になって入った餃子専門店は大当たりだった。ほっこりしてあったかいお店だった。
本命の居酒屋さんも活気があって元気でホスピタリティも高く、そして、美味しかった。
ま、こんな顔にもなりますわなあ~(笑)
さて、そんなこんなで最終日である。
講座もカウンセリングもつつがなく終了し、いよいよ、オフ日である。
前回来た時にハマった鳴子温泉郷を今日も攻めるのである。
師匠お勧めの濃い~硫黄泉2湯。なんとここは隣り合った温泉である。
いきなりカルチャーショックを受ける。しかし、いつまでも入っていたい湯であった。
鳴子峡に向かうとそこは紅葉シーズン真っただ中であった。
観光バスがあちこちから訪れ、駐車場も軒並み満車になるくらいの盛況であった。
とはいえ、東京や関西みたいに押すな押すなの大賑わいというわけでもないのが有難い。
鳴子峡は中山平温泉の中にあると言ってもいい。すぐに名湯たちと出会える素敵な場所である。
その名の通りとろとろのアルカリ泉が楽しめるしんとろの湯は93度の源泉を樋を伝わせることで温度を下げ、適温にして湯船に注がせるシステムを採っている。これはとても貴重であり、かつ、ありがたい。水で薄めるようなもったいないことをしていないお湯はほんとうに素晴らしく、無色透明のお湯はとろとろとしていて気持ちがいい。
しんとろの湯を出てすぐのところにある琢琇。ここも私の師匠ご推薦の場所で30分ほどしか時間がないと言われるが迷わず入浴する。1000円と日帰り湯にしては高めだったが旅人の財布は緩いのである。
このほか、ここには露天風呂や混浴風呂があり、湯量があまりに豊富で持て余しちゃってるような気がして微笑ましくもある。綺麗な宿でもあるので、いっそのこと、家族を連れて来たいと思った。
さて、写真はないがこの帰りはいつもの「あ・ら・伊達の道の駅」により、地元のお母さんたちが作ってくれた漬物・キムチたちに、家族等が喜ぶお菓子を買って岐路に着いた。
寝不足だった上に、温泉で溶かされた我が身はすっかり睡魔に侵され、気が付いたら仙台空港であった。
もし、2泊3日程度で、しかも、平日でも十分採算が取れるのであれば、もっと頻繁にこの地に足を運びたいと思う。
もっとも3日のうち1日は温泉で、あとの2日は国分町や一番町に沈んでいるのだから何のために来ているのかは分からなくなりそうだが。
ともかく杜の都と言われるこの街はとても美しく、旅人の心を癒す何かを豊かに持っている地であることは間違いはない。
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