「苦手な人を受け入れる(2)」

*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*

前回はハッピーになる!というお話をしました。

今回は別の角度から「苦手な人」が贈ってくれるメッセージについて考えたいと思います。

苦手な人を前にすると、当然、いい気分はしないわけですよね。
ネガティブな気持ちでいっぱいになってしまいます。

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昔の思いを、今取り戻す。その結果は・・・。

たとえば、子ども時代、共働きの両親で、一人で過ごすことが多く、とても寂しかったとします。
そして、大人になり、親も丸くなり、経済力も付いて自由に使えるお金が増えると、家がたまらなく居心地いいものになっていきます。

そうして、子ども時代の“寂しさマインド”を満たそうとしている姿をよく見かけるんです。

悪いんじゃないですよ。今、過去を満たせるってのは幸せなことなんです。
でも、多方面で問題が・・・出てきちゃうんですよね。
だから、ある程度満たされたと思ったら、その世界から、抜け出したいところなんです。
でも、今が気持ちよすぎて、なかなか・・・それが・・・むずかしい・・・。

そんなお話をよく伺います。

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携帯メールから連絡を頂く皆様へ。

こんにちは。根本です。
今日は久々の「予定のない休日」。自宅にてゆっくり過ごしました。
とはいえ、こういうときこそ、溜まってる雑用を片付けるとき!と、たっぷり昼寝をした後は、やっぱり仕事をしてしまうのでした・・・。

でも、睡眠によって救われた我が魂は、とっても元気になりました(^^)

さて、皆様にお願いです。

特に、携帯から問い合わせを頂く皆様へ。

返信を期待されていないからかもしれませんが、頂いたご質問や感想にお返事をしたためて送信すると、「あて先不明」で戻ってきてしまうことが多々あります。

特に、docomoをお使いの皆様。

counselingservice.jpドメインからのメールを受け取れますよう、お願い申し上げます。

なお、「あああああ・・・・、それってあたしのことかも・・・」と思われる方は、改めて、ご一報頂けますと幸いです(^^)

「苦手な人を受け入れる(1)」

*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*

プライベートでも、仕事でも、“苦手な人”。いますよね。

  その態度が癇に障る人。
  話がかみ合わずにイライラする人。
  ファッションセンスや品の悪さが目に付く人。
  すぐに怒る人。
  高圧的で、上から目線でしか話さない人。
  決め付けなど、思い込みの激しい人。
  そもそも話が通じない人。

他にも生理的に嫌な奴など、苦手と思えば、次から次へと湧き出してくるものかもしれません。

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「大丈夫。私は愛されている。」

*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*

不安になったとき、根拠のない理由にて、こう思ってみてください。

「大丈夫。私は愛されている。」

かならず、誰かが、あなたのことを見つめています。そして、愛してくれています。

でも、そんな人などいない、と思ってしまうこともあるでしょう。
そういう時は、もしかすると、目を瞑ってしまっているのかもしれません。

愛されなかった人、誰もいません。
それは私達が今、ここにいることが、その証左です。
なぜなら、私達は愛がなければ生き残れなかったから。
誰かがあなたにミルクをあげ、誰かがあなたのおむつを取り替えてくれたのです。
そして、誰かがあなたのために食事を用意し、誰かがあなたの切る服を与えてくれたのです。

当たり前と思うことの多くは、ほんとうは、奇跡なのかもしれません。

それに気付いたとき、私達は、多くの人が自分に向けて与えてくれた無償の愛にも気付くことができるのです。

大丈夫。私は愛されている。

この言葉に、嘘や偽りはありません。
失意のどん底にあるときこそ、思い出していただきたい言葉なのです。

心の処方箋

「わがままになりすぎてると感じたら」

*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*

パートナーに対して、家族に対して、あるいは友達や仕事に対して、わがままになりすぎているように感じたとき、心はあるメッセージを発しているのかもしれません。

私達は欲求は強いものの、わがままになって人に嫌われたいとは思っていません。
また、それは大人げないことだと自己嫌悪の種になることもあろうかと思います。

でも、そんな中でもわがままになってしまうとしたら、心は決して平和ではないという証でもあるのです。

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「それは“愛”でしょうか?」

*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*

愛から出た言動は、どんな内容であれ、いずれは相手に伝わるもの。
「めちゃくちゃな親父で昔は憎んでたこともあったけど、今振り返れば、親父なりの愛情表現で、愛されてたんだなあ、と思う」みたいに。

でも、愛ではない行為・・・自分の欲求(自我)に基づくもの、策略や計算によるもの、我慢や犠牲からくるもの、妥協や諦めによるものの場合、自分にはもちろん、相手にもいいものは残りません。
心はどんどん疲弊していきます。

疲れてしまったなあ・・・と思ったら、あなたは誰かを愛し忘れているのかもしれません。
今すぐに、誰かに愛を贈ってみましょう。

これを頭で考えてしまっては難しいんです。
何が愛なのか?と哲学したり、自分には何もできないと無価値感や無力感にはまったり、でも、それもまた愛さないための言い訳、罠になってしまうんです。

「私は“愛”を知っている」と思ってみてください。

じーんと心が温かくなること、自然とにこっとしてしまうこと、良かったな・・・と思えること、喜ぶ顔が見たいと思ったこと。

それは“愛”ですよね。

でも、自己愛というのもあります。
それを自分自身に送ってあげてもいいのです。

不安や怖れが渦巻いているときだからこそ、愛を振りまいていたいですね。

正解はありませんから、自分なりの愛を、誰かに、与えてみませんか?

心の処方箋